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2013年2月7日木曜日

Kuti 

カラクタ共和国。
ナイジェリアの英雄、フェラクティはフェンスを張り、囲い、そこに27人の妻を置いて暮らしていた。

留学期のロンドンでジャズに大きく影響を受け、ツアー期のアメリカでブラックアイデンティティに目覚めた彼が作った国だ。

外を知り、自我に目覚めた彼は音楽を武装し、新たな音楽を形成する。「アフロビート」。盟友トニーアレンと共にこう名づける。

精神が開放されたブラックパワーみなぎる彼のサウンドは、自分の中では正に起爆剤。



フェラの文献は前述で紹介したカルロスムーアの著作や、Webでも多く記事が上がっていて、
僕がここで述べるのには恐れ多いものばかり。

前にジンジャーベイカーのアフリカ横断についてここで書いたのだけれども、初めてのフェラの映像がそれが初だった事であると同時にアフリカサウンドに触れるきっかけだった。ジンジャーベイカーのストイックな好奇心にも驚かされたが、フェラ達のダンスが本当に圧巻。
踊りの根源を超えて、人類の根源がアフリカだったことを完全に感じられる。一番ナチュラルなんだろう。
現在、フェラの生涯は書籍だけでく、ブロードウェイのミュージカルとしても取り扱われ、今の時代にも影響を与えてる。また現在ドキュメント映画「Music is The Weapon」。こちらも貴重な資料として残る映画に。

肉体と音、タイトルも強烈だ。でもそういうことなんだろう。土取りさんも言ってた肉体と音。

昨日ずっとジャコとフェラの「Lady」を繰り返し聴いていて感じたのは「音楽はクスリ」でした。

とても印象的なのは、首都ラゴスのどこかにあるくらぶなのか、もしくはカラクタの中なのか、
小屋のような場所でフェラ達が踊っているシーンがある。フロアが泥のようなコンクう立派のようなそんな場所なんだけれども天井にはミラーボールがしっかりと存在しているんですよね。

それが凄い何かを象徴しているというか、やはり大切なものであり祀っているかのように感じて。


「Coffin or Head of state」(1980)





身を汚すことの快美。

男媚願望。

その最高の段階は、ファシスの少年、というと
ころかな。この世の一切の栄光と快楽を与えられ
ている訳だから。この危険この上ない。

B-3のcodaの弦楽済奏はその暗示。

例えば、免許とるとか、酒の飲み方覚えるとかっ
て全部そうなのです。だから、これは社会学であ
る訳。無希望の社会学。

日本はヘンな国だ。日本の文化はオカシイ純粋
培養。

いつもこのは世の悪を意識してなくてはだめだと思
う、生き方として。だから、私は瞑想したいのだ
けれど、しない訳です。悪を思考できなくなるの
が嫌なのです。

私はアンチ・ロマンでもないし、反心理主義でも
ないし、機能主義者でもない。だって目的は無い
のだから。

誰かのためになるなんて思って音楽作ってる訳
ではない(現在どんどんつくられている音楽のほ
とんどがそうなのだけれど。)ただ、自分のため、
なのですね。社会的な自分のため。社会に登録さ
れるというだけのため。小権力が分配される訳で
しょう。なにもしなければただ雇用されてるだけだ
から。要するに、使用人が小さな店もたせてい
ただいたのね、だんな様に。そうすると、こんど
は自分が使用人を3人雇って店を維持していく
訳です。みんながやっていることと同じ。それだ
け。

このままいって、音楽の世界にsynthesizerが
もっと普及して、音楽の作り方が私なんかが
今やっているようなデジタル的な方法に変化して
いくと、耳が変ってしまう。決していい方にでは
なくて。そうなると伝統的な感性の文化的拘束力
が勝つか、テクノロジーが勝つかの戦いになる。

どうやら「瞑想」っていうのは、今まで緒々の文
化メディアが荷ってきた、意識の自己再活性化機
能を人為的にテクニカルにコントロールしようっ
てことだから、社会的に云えば、自己検閲済人民
抑制法だと思う。そうなるとやっぱりこれからは

アポロンとディオニソス的に精神界の戦になる。
自分をひたすら自動反射ロボットにしようという
志向との戦いですね。前者はすごく健やか、後
者は敗北主義。しかしながら、ヒットラーは後者
に属している。後者にとって前者は使用人にする
のに最適だ。そして、どっちも嫌だ、という第三
勢力である分裂症群がいる。私はここにいる。こ
ういう輩は音楽産業とか牢獄に幽閉されるだ
ろう。軽度でガードマン、中度でミュージシャン、
重度だと病人、というわけ。

だから音楽で人を救うなんて絶対にできっこない。
救われないと思っている奴らの嘆き節なんだから。

かくいう私の音楽もまさにこれですね。立派に嘆
きたいと思ってますよ。どうせ落っこってくる
のだから。

嘆いて、救われないということすら忘れている、
救われない人たちに、その救われなさを一緒に歌
ってほしいと思ってる。ホントは。
一緒に死んでください       

                 坂本龍一




過去にもDisapointment Haterumaについて書いたが、最近知り合った盟友山田氏と昨日の酒の席でまたこの話になった。むしろまだまだ土取利行について知りたい自分が親交のある山田氏に問い詰めるような形。もちろん教授の名前も出てくる。今の自分の最大のエネルギーだ。

上は教授の78年発表したデビューアルバムであり、衝撃的なライナーを残している。
考えさせられる印象的なライナーは、学生を卒業、音楽を糧とし社会に飛び立つ若き教授を伺える内容とも言える、いったい何を思っていたのだろう。酷く冷静な葛藤と感じる一枚。当時26歳。

しかし、坂本龍一名義として初めて出したのはやはりDisapointment Haterumaだ。75年、夏。衝撃のフリージャズを叩くデビューアルバムである。大学在学中時の事。

75年から78年の間は教授にとって、数々のスタジオセッション、客演を広め、そしてYMO結成をした時の事だ。それから同年の78年にソロで上記の作品(千のナイフ)を残した。細野(晴臣)さんとのぱらいそや山下達郎のイッツアポッピンタイム、そして浅川マキとの76年の灯ともし頃」もこの間に位置する。
クラシックを脱し、民族音楽、ジャズ、ロックに触れる、その他にも多くの客演を飾る中で、YMOを形成していったその流れは、本当に恐ろしいほど激流的な怒涛の挑戦だったに違いない。

Disapointment Haterumaは、しっかりその最初の作品として位置づけられる、しかし公式になっていない。その事を考えると、土取利行主体に進められた作品なのかとも感じるし、より深いもの、「何か」なのか「若さ」なのか、同時にがむしゃらな中の葛藤の末とも想像してしまった。

僕の中で教授のキャリアはYMOが作ったと思う。もちろん同年にソロとして、残した事には、74年くらいから78年の最強に濃い出会い達があったからこそ教授が生んだものとしては間違いないし、80年代を超えても転換点は多くある。

Disapointment Haterumaは、バリケードを張り、学生運動に取り組んでいた信念を油に動く、坂本龍一の行動エネルギーと、土取利行のフリージャズとその時代への叫びのぶつかり合いなんだろう。その通り一瞬なのかもしれない。幻として。


1975年、高度経済成長の中、日本。ベトナム戦争が終結に向かい、学生運動も最後の熱を持ち、自分の未来と信念、国の為に闘いに疲弊を感じ始める。内ゲバへと向かい、暴力が大学で蔓延し、恐怖と粛清という名に若い命が堕ちていく。沖縄返還を向かえ、闘争の対象の一つであった反米感情はどこに向かうのかさ迷い、次々と潰されて、踊らされていく運動の中、音楽が残った。


沖縄返還前の日本最南端の島、波照間(はてるま)島と、赤道を軸に、ちょうど緯度において正反対の場所にあるオーストラリアのディスアポイントメイト・レイク。

マキの歌と坂本のpiが、寂しさを聴かせる。


そして、「ボク、今でもジャズには否定的です」と、再発のインタビューでこの作品に対して今になって語る教授はスコラでこう残している。


~フリージャズ。「演奏が終わると音楽はどこかへ消え去ってしまう。そして二度と捕まえることは出来ない」スコラ 坂本龍一 音楽の学校。~


 『誰もぼくの絵を描けないだろう』



昨日は、仕事終わりにそんな話の理解者であり、先生でもある山田氏を誘い、駅前へ。
寂しい街は、地方と時代にかわされて、風化し、味を出していく。 そんな中語り合っていた。
「顔と顔とで繋がる鼻緒と言ってな、出会いがあるだろ。酒場の席には服が落ちてる。」
改めてそうなんだなと思い、富山の夜を楽しんでいた。

山田君が、「真太郎さん、土取さんもね、踊るんですよ。かけあうんです。」

やっぱぐっと来た。
最近の自分の全ては、土取利行とミルフォードグレイブス、「ナチュラル」だ。


今日の一曲、

Donald Byrd & The Black Byrds / Loves So Far Away

また寒くなって、相変わらずのどよついた空と空気。夜は酷く冷えて、人の気も消されたかのような静けさは、毎日続く。たまらなく好きです。各々パートで引き立っていて、繊細な演奏ながらも疾走感溢れ、かすかなボーカルと、後半のドラムブレイクは、おかわりしても飽きず、現在からの開放を後押ししてくれるような。




勢いで、山田君にヒップホップを聞くのか聞いてみたりした。
「あー!昔結構聞いてましたよ。」「2000年くらいまで?」「いや、もうチョイ聞いてましたね!」
多様性に長けた、地方に馴染みやすいものなんではなかろうか、と山田君は捉える。各地方の色感なりコミュニティ間を感じて、没頭していたみたいだ。
すっかり、60-70年代のコアな邦楽やフリージャズやノイズ、実験音楽に長けたイメージを持っていたのだが、、そこからも話が色んなジャンル、方向へと掘り進む。

今まで見てきたライブの話や、バークリーの限界を「学ぶ事」「感じる事」の所にあるんだと思うなど、また彼自身ドラムとベースを嗜んでいるなど。

気が付くと僕は、この本を注文していて、
晴さんの「もうそろそろ閉めっちゃあね。いつもありがとうねぇごめんねぇ。」が響いた。






思っていたより、いつもよりお会計が安く感じたというか安かったのがまた面白くて。
今日の市場と晴さんの気まぐれに感謝。

「酒場には福が落ちてんだよなぁ。」
石倉三郎

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