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withoutrecord

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rain

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kller

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cbr

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rts

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2013年2月19日火曜日

I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes





「僕は耳と目を閉じ口をつぐんだ人間になろうと考えた」





何かを追求。

この動機が一番のパワーなんだと気づかされた先日のボーンズブリゲード。
ピュアで真っ直ぐでやり続けることの強さの中に絶対に形にする決意があることに身の引き締まる思いの余韻を感じている。

表現の媒体として最強のアウトプットを紙なのではと提示していたタンジブルビットの権威、MITの石井教授の言葉を思い出す。インスピレーションという意味ではなく、機能的にも古代エジプトで生まれたパピルスを上げた。








ネットワークの時代の中で自分の表現のアウトプットに対するコンプレックスを持っている自分にとっては体=踊りというアナログであり感覚的な行為な中にいることでよりS.A.Cならぬアウトプットコンプレックスを強く感じ、改めてケツをバシっと叩かれた様に感じる。
自分のツールのなさに。
改めて思うのが感覚という素材を最大限に生かすものが道具=ツールなんだろう。自分の中途半端さには程々頭が痛い。w 


降格機動隊がYOUTUBEで無料視聴期間ということもあり、連日思いローディングにストレスを感じながらも見入っているのだが、やっぱ凄いセンスだと感じる。

インターセプト、電脳硬化症、半電脳、笑い男事件。
いつの日にか、アオイが感じているような光景は非現実的だが、現実にもなるような気がしてたまらない吸収されていくような受け入れ安さを持ってる。





そんな電脳世界に浸っている中で上の笑い顔事件のトレードマークにまつわるたくさんのエピソードを読む中で、デザイナー、ポールニコルソンが影響を受けた日本のアニメと、ヒップホップのグラフィティ、そして英国が生み出したブレイクコア等の音楽のミックス感、そしてその表現であるツールに対する自分なりの想いを耽り、ゲレロ様の「笑い顔」のようにおどけてしまう今日この頃、でした。





「悩むより動け。」


現在、MITの新所長の伊藤さんの最終学歴は高卒だ、というエピソードがあったのだが、
苫米地が語っていたNASAの職員は高卒多いんだよねぇという話を思い出したのは、予断にしておいて。笑

「数学はツールだよ。これ言ったら数学者に怒られるんだけどね。」と言っていたことを改めて思い出した。



You know what I'd like to be? I mean if I had my goddamn choice. 



今日の二曲、


最近新たな試みが頭の中で生まれたのだが、
それから教えてもらったこの二つの動画に凄いインスピレーションをもらっております。
ANTICON.のビートメイカー、Jeffery James LoganことJel。 人力ドラムンベースのKJ Sawka

3月に踊る予定の先日のバンドとのリハで、ドラムを練習させてもらったのですが、メンバーが「ビートメイカー達がつくった楽曲をドラムで起こしてみたらどんな感じなんだろう。」という 発した好奇心溢れる質問にもタイムリーに重なって、何だか面白いなと感じて。
この二人、前者がシカゴで後者がシアトル。

フレッシュなパフォーマンスと、ダークなUK、ヨーロッパ産の音のミクスチャー間がバリバリ出てる感じがまた新たな可能性を感じさせるアメリカらしいスタイル。
必見です。





参考文献URL
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20101026/1288041231
http://www.ukadapta.com/contents/Art/Art_Terratag.html
http://courrier.jp/blog/?p=9690
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/13174

http://www.ukadapta.com/contents/Music/Music_kjsawka.html






最近は肉体を取り戻そうと奮闘中。

今週は、色々と多忙の中、仕事も夜中まではみだしてボリューム満タンです。

2013年2月18日月曜日

Channel One Two...Three.


「出会うもの全てを受け入れたいわ。」


 「音」を「たどる」という表し方は以前ここで述べた鈴木昭夫氏 から教えてもらったイメージ。
土取利行さんとミルフォードグレイブスの衝撃から、その追求への足がかりは富士の雪解けが沸く川沿いの光景のように山から裾野に広がってく。

ふと素敵な表現に出会った。

形のない音を感覚的に触れるものとして捉えるこの言葉は、僕の踊りの中の「大地に手を触れる」という行為が「踊る」でも肉体で表現をするでもはなく、「音を触る」ということにまで昇華させる気分。


「すべてのものにはリズムがある。自分の中の第3の耳へとアクセスするパスワード。 」

ヒトは耳という器官がなければ音が聴けない。聴こえないことによる生活の障害もまた多く感じることになる。

日々どれだけの音が自分の耳から入ってきているのか、その音のどれだけを意識しているのか
気づける瞬間は中々めぐり合わない。
「当たり前」の環境では、情報という言葉に書き換えられ、忌み嫌われ、音を濁しているかにも思える。
ハズラト・イナーヤト ハーンが提示する「音の神秘」には、根本となるリズムは宇宙から人間の体内/心の始まりだとも述べている。


ここでは「良い音」、「悪い音」の存在を明らかにしようとしている事では決してない。
感覚として、音を捉える中で、それは数字には表すことはやはり出来ないし、音に対する感想表現もまた違う。
同じ景色も実は個々に違った色に見えているのかも知れない中(認識としては社会に提示されて位置づけられているのでほぼ高確率的なすり合わせが可能だが。)、音の先に見える景色に関しては尚更だと思う。

踊りに例えるとそこから更に肉体というフィルターを通す。そこに精神状態も加わるのだからもっと複雑化していることに同じ見え方などもう不可能なんだと思う。そこで共感するものを感じるのならばそれは強い引き合わせ、運命なんだろう。
「フリージャズは、演奏が終わった後に「ああこのメンバーと演れて本当に良かった」って思えることなんだ。」という誰かの言葉を引用するのであれば、それはフリージャズだ。

どのレベルでの共感かもまた細部になるとキリがないのだけれども。
「共感」もまた音なんだろう。聴くことが出来目で見ることもできる、触ることも出来る「音」。
 

シンプルに行き着くにはやはり遠いところまで位置づけがあるんだろうと思う。欲求と片付けるならばもはや人間の研究、表現ではあらわせない生命の神秘だから。そこに収まり全部自分の中で繋がる。シンプル。




と、曇ったこの土地で空を眺めていると重い音が聞こえてくる。
先週末は吹雪の中、こっちでの公開初日、ドキュメンタリー映画「BONES BRIGADE」をお目当てに金沢に出掛けた。

話は変わって、僕のサブカルチャーを 支えたのは、ここでも何度も登場している マガジンハウス「Relax」という一冊の雑誌。
ふとしたきっかけで本屋で手にしてた16歳の時から、トレンドやのサブカルを面白可笑しく教えてくれるかのような月刊誌を年間購読をし、コレクトしていた。昔からモノ集め、捨てられない主義の自分にとって特にかさばる雑誌という媒体は、スクラップを施す事が多いのだけれどもRelaxに関してはハサミを入れる事はなかった。
それこそトレンド、音楽、ファッションだけでなく、FUTURAやラメルジーを代表するグラフィティー等のHIPHOPカルチャーや、その後のバンクシー、SPACE INVAVER、過去に書いたテクノカットの生みの親、本多三紀夫氏もここが源泉。 付録のインベーダーマップで東京に買い物に行く時は、良くマップ頼りに作品を見に行ったりなんかもした。
(探してみたところ現在WEBで公開していた。当時はRelaxの付録で付いていて、好奇心をくすぐられる付録は他にもソノシートやCDなんかも付いていた。http://space-invaders.com/maptk.html)




そして伝説のヨコノリククルーZEPHYR、Z-BOYSを知ったのは、いつかの号でありその存在とドキュメンタリーDOG TOWNの公開間近の記事をまだ覚えている。当時の自分には馴染めなかった金髪ロン毛のニイチャン達だった。
Z-BOYSのメンバーステイシーぺラルタ自身の監督作品、当時は作品は見なかったがその後DVD化になり友人からの誕生日プレゼントをきっかけに見てからすっかり惹かれた。


今回のボーンズブリゲードは、ぺラルタが現役を退き、自身のブランドを設立。自らの経験を生かし、もう一度最高のスケートチームを作る為に立ち上がる。そして全米から集められたメンバーで結成されたチームの名前をタイトルに70年代スケートシーンから今までに与えた影響と彼らの歴史を追ったドキュメンタリー。

感想は、感動の一言。ペラルタのスケボーへの愛をしっかりと見たメンバーのスカウトから結成まで、各メンバーの個性溢れるキャラと魅力が存分に伝わる内容で、「仲間とは」、「ライバルとは」、「スケボーとは」、をしっかり写していてエンドロールの時は涙。
ぺラルタとメンバーの信頼感、メンバー同士の絆も本当に共感してしまう。そして現在でもまだ新たな挑戦を続け、決して忘れない好奇心に胸を打たれた次第でありました。


キャバレロの年の取り方が最高にかっこよく、47歳の今でも現役というところもたまらない。
ミューレンとトニーホークの絆、ランスマウンテンとマックギルのコンプレックスと向き合いながらもそれぞれ刺激とプレッシャーをシェアしながら成長していく様。その純粋な一生懸命さと好きな気持ちの裏に抱える負の部分は、多くの人に感動を与えるはず。
そしてペラルタのメンバーを大切想う気持ちと、ビジネスという枠の中で最大限に遊びとするセンス溢れるマーケティングとそこに集う仲間達。そのカルチャーは世界を巻き込むもまだ知らない素晴らしい歴史は、是非一見の価値あり。なんにでも通ずるものを得られるはず。
そして劇中の音楽も良い。ゲレロ本人の作品も使用されていたり、80s感もあったり。


そんな中で最大限努力をしたが、共同経営もうまくいかず伝説のチームは、解散することになる。
それに悲観するペラルタに、再開であり「再会」を求める多くの世界のファンとボーンズブリゲードのメンバー達による20年後のこの機会は、オープニングからエンドまで余すことなく楽しめる作品、でした。もちろんこの映画も監督は、ペラルタ自身。

パウエルペラルタの解体、ボーンズブリゲード解散の間近に、子であり仲間でありパートナーである
メンバー達に独立への道とノウハウを教え、共同契約サポートを組むところもシーンへの想いとフックアップを 感じられる。

更に最後のエンディングで現在のメンバー達について語られるのだが、みんな立派に巣立っていき、独立を経て個々のスケートと寄り添った人生を家族を持ちながら生活していることが語られる。
そしてペラルタの際に息子でありミュージシャンであるオースティンペラルタについても語られるのであるが、惜しくも彼は去年この世を去った。

この映画が撮影当初は生前。ピアニストとして、また数々のセッションプレイヤーとして、15歳のデビューから華々しい音楽を残し、ジャズの垣根を越え、BrainFeederの一員としてエリカバドゥやフライロー、サンダーキャットと残した。



もちろんこの映画ではペラルタの父親としてその悲しみに触れる事はない。

そして子供同然のように同じく長い時間を過ごした、トニーホーク、ロドニーミューレン、スティーブキャバレロ、トミーゲレロ、ランスマウンテン、マイクマックギルの六人の主要メンバーのペラルタに対する父親同然の想いも重ねてぐっときてしまった。

多分こういったストリートカルチャーは、70年代初期に数多く生まれた。しかしこれは今の時代では到底生まれることの出来ない当時でしかなりえなかったカルチャーであり、それはHIPHOP、BBOYをとってもそうだと思う。(他にはこんな成熟は見られないが。)
 このシーンの成熟は今からでは見られない。


ペラルタに最高のリスペクトを。



ただスケボーがしたくて、好きで、ペラルタを喜ばせたくて集った仲間の話。

「決してチームやクルーやスケートなんて単語を使いたくなかった!そこでクレッグが口にした言葉は、ガイコツ旅団(BONES BRIGADE)だったんだ。」



そして話はオースティンペラルタの音をたよりに最初に戻る。
聴覚障害を持ち、体全体で音を感じる彼女の音は、音の透明感と体で音を感じることについてさらに深めてくれる。
グラミー賞2度受賞という偉業を成し遂げたパーカッショニストのエヴリン・グレニーの見つめる音の世界は、どんな世界なんだろう。本人にしかわからない、健常者には想像を絶する状況の中でも
実際にはもっと単純な欲求だけなんじゃないだろうか。


「Touch The Sound」。
音から歩み寄ってくれている、とても大きい言葉。






と調子良い事書いているが、週末の凍結と泥酔とはしゃぎによる
ノーハンド顔面キャッチの強打がまだ痛い。

2013年2月10日日曜日

Mr Yancy

今日は、DILLAの命日。

日に日に彼の魅力とトラックは深みを増します。楽曲そのものは変わりはしないのだけれども、
自分の中の解釈で聴こえ方が変わるから。





 The Roots - Make Em NV [Dilla Joints]

 
そう感じさせてくれる音楽との出会いは素敵だ。


これ本当に聴きまくった。



 StereoLab - The Roots [Dilla Joints]

深い音の海。


Dilla Shine-- JDilla feat. Robert Glasper


2006年三月だったかな。僕はサンフランシスコにいた。デトロイトとは遠く離れたこの土地で、地元のレジェンドとして、捧げるかのように会場のBBOY達はこのTシャツを着たていたのが強く記憶に残っている。
チャンスを掴もうと、結果を残そうと固い考えでアメリカにバトルに来た気持ちを持っていた自分に
目を覚まされたかのような出来事だった。

HIPHOPの素晴らしさは、そんなパーティー沢山にあったし、感じる事は全てピュアだった。

J DILLA 
CHANGED 
MY LIFE


REST IN POWER&PEACE Mr JAMES YANCY !!

Im in love again




雨粒のような歌声の歌姫は、思いがけない運命の出会いでこの曲で世界中の人々を
魅了することになる。
どうしてもミニーの歌声、サウンドからは、儚さを切り離す事は出来ない。


Lovin' You/Minnie Riperton


「神はよく過ちを犯す。天空の果てに鎮座し、どこまでも続く純白の雲に囲まれながら、
天使の歌声を聴く毎日。その中で神は絶えまない変化を求める。
時に待つことができずイライラし、また時に、そこに迷いが生じることもある。ある時、神は誤り、5 オクターヴの音域を持つ天使を地上に降ろしてしまった。」


この曲が誕生したのは、きっと決して巷で使われている「歌姫」とは違う本物のDIVA。その譜系は、本当の歌姫と世界中の人々に幸せを与えたものなんだと誰も疑わないと思う。その中に自分のマイフェバリット、周りの皆の思い入れに強い曲の話には必ずと言っていいほど現れていて、数多くのミュージシャンの作品から彼の名前が聴いてきた。


チャールズステップニー。

Chess、Cadet、ロータリーコネクションを経て、ヒットに見舞われなかった。下らない「ジャンル」という消費者の為の枠組みに当てはまらないロータリーコネクションの高度な音楽は、ラジオや人々には届かない。その後の再評価は、それを物語っているし、宝石のようなものだ。

Rotary Connection "Respect" (1969)

ミニーは、失望の中にあったのかもしれないが、そのグループの中でリードボーカルを務めあげたというミニーのキャリアの中で身に沁みこんだ良質の音楽時間は間違いないものだった。

Chessは、ブルース期の全盛を過ぎ、新たな可能性としてチャールズステップニーを迎え入れる。
チェスは、50年代のアメリカのブルース、ロックンロールの誕生と歴史に大きく影響を与えたレーベルであることは、数年前に公開された映画、キャデラックレコードの人気と共に有名。

その頃Chessでコーラスをしていたミニーはそこでステップニーと出合い、参加のジャズ部門のCadetでロータリーコネクションのボーカルとなる。

そしてソロデビュー。

minnie riperton/come to my garden

60年代後半、Cadetからステップニーによりミニーは、この曲を残す。どうしてもミニーと言ったら、
「Lovin You」が代表的だが、今現在この1stの評価は、陽の目を見ていることは、31歳の若さで天国に戻っていったミニーはきっと空から見ているはずだ。


70年代に入り、心機一転でフロリダに移住した先に出会った人物はミニーの大ファンだったスティービーワンダー。彼女が勇気を持ってかけた一言からスティービーは彼自身、大ファンであったロータリーコネクションのボーカルであったミニーという事に気付く。


そんなミニーにとってもスティービーにとっても運命の出会いからこのアルバムが74年にリリースされるのが2枚目のPerfect Angelはタイトルの通りスティービーが天使に送ったLovin'Youを収録。
このアルバムに、「A VERY SPECIAL FAN」と書いてあるのは、ミニーがスティービーに送ったメッセージである。



「僕にはミニー・リパートンという友達がいてね」

と、スティービーが語る。

 「生前、彼女が口癖のように言っていたんだ。“例えば、グラスにワインが半分ほど注いであったとして、私はそれを人生にたとえるなら、‘もう半分しか入っていない’と考えるよりも‘まだ半分もあるわ’と思いたいのよ”ってね。」


そのリリースから二年後、ミニーは乳がんを宣告される。


「私は黒人だけど、決してブルースは歌わないわ。」

「黒人だから、みんなブルースを歌うべき?でも、私にはブルーに落ち込むようなことは何もないの。 ブルースは悲しい感情で歌わなければならない。でも私はハッピーな人間。」
手術成功後、一時活動を休止し、全米にて乳がんの経験を語り、そのあとも復帰、歌い続ける。
今現在のピンクリボン運動の先駆けとなり、自身の術後の経過を公開する。女性にとって乳がんによってなくした片胸の痛みをも乗り越え、


78年、再発。



そして79年、ちょうど4月で僕と同じ年にミニーは再び天国に戻った。
彼女の地上に舞い降りた31年間は、人々に歌声を残し、同じ病に苦しむ勇気と感動を与えた。
彼女は、常に笑顔で。

夫リチャードと結婚後、スティービーと出会った、フロリダは喧騒と離れた場所を求めて訪れた土地だった。そこには、白人であった夫と暮らす上であった、差別的な周囲からの目線もからの彼女の心機一転でもあり、安らぎでもあり、人種差別と闘うだけではなく、わかり合う為に、夫の負担もなくす為でもあった。
常に自分の状況と闘っていた。


最晩年、死の床にあったミニーにスティーヴィーが見舞いに訪れた時、ミニーは「私の待っていた最後の人が来た。」とつぶやいたという。



Ramsey Lewis/Sun Godness

ミニーという天使をしっかりと咲かせたCadet、そしてステップニーの魅力、
1974年のラムゼイとモーリスホワイトのこの曲。ステップニーによりThe in Crowdをヒットさせたラムゼイは、その後、チェス時代、EW&F以前にドラマーとして一緒にステップニーの下でバンドをしていた、そしてステップニーに影響を受けたモーリスホワイトと新しい音を作り出す。

今までのラムゼイにはなかった音と、アースらしさが出たモーリスのサウンド、そしてどちらのベースともなっているステップニーの音楽を感じ取る事の出来る名曲。


Fantasy - Earth, Wind & Fire1978

70年代後半、世界的に人気を博したEW&Fはその二年前、ステップニーはミニーよりも早く天国へと逝く。モーリスは、彼にリスペクトを送り、76年に彼と製作中だったアルバムを「Spilit」と名付け、彼に捧げた。


Cadet、ステップニープロデュースの名曲は計り知れない。


Terry Callier - Ordinary Joe 1972

ふと雨の降る時、ポケットからプレイヤーを取り、この曲を選んだり、六月の雨の時期、車の中でこれを選んだり。全部が混じり合う。
ジャケットイメージもOccasional Rainというタイトルもステップニーの作り出す雨の世界も。





Terry Callier / Charles Stephney - What Color Is Love.


何とも言えないジャケットの物悲しい妖艶さとこの中の収録曲、度肝を抜かれたYou Goin' Miss Your Candymanは、Cinematic Orchestraもプレイしていたのが印象的。

このタイトルの色ってなんなんだろう。肌の色なのか音色なのか。

そんなテリーは、2012年10月27日に逝去。晩年もさまざまなミュージシャンとコラボし、活動の幅広さは目立った。


自分にとって影響を与えた曲の裏側で、ステップニーのプロデュースがあった。それが知っていて聴いたとしても、クレジットを見てから気付いたとしても、今となってはどれも自分の中で一枚一枚いい思い出になっている。


Interrupted Greatness: The Charles Stepney Story



Interrupted Greatness: The Charles Stepney Story

              

ステップニーの魂は生き続けるし、きっと天国でその昔の仲間達と新しい音楽を作っているに違いない。



他にも内容の濃いウィットに富んだ多くの記事がある中で、恐れ多い記事を自分の少ない知識でここに残していることが多いなと最近ふと思うので本当に皆さんには申し訳ないです。



というわけで最後は和モノでちょっとふざけよう。





ふざけすぎたか?
これ秋元康プロデュースというか、対訳か。レイ・パーカーJr知ったら怒るなこりゃ。主題歌なはずないやろ。トラックはまんま使い。気になる人は、探してみて下さい。苦笑


 気を取り直して、、、

 

I Just Called To Say I Love You
Stevie Wonder
(1979) 


邦題は、心の愛。これも名曲中の名曲。しかしこの名曲中の名曲。
実はこの曲、元祖湘南サウンド、親交のあったブレッドバターの為に書き下ろされた曲で「特別な気持ちで」というタイトルで、本当のオリジナルは彼らになる予定であった。

1973年の『IMAGES』の制作する時にスティービー・ワンダーとロンドンのスタジオで親しくなり、その後もずっと交流を続 け、1979年にブレッド&バターの活動再開するという話になった時に、スティービー・ワンダーが彼らに曲をプレゼントされた経緯が。

作詞は呉田軽穂名義の松任谷由美、編曲細野晴臣が担当。この豪華な面子で日本でのリリースを前にスティービーから「やっぱり返してほしい」と連絡が。

もし、を言ったら歴史にキりがないけど、非常に残念。その5年後改めてスティービーから使用の許可がおり、ミニアルバムに 収録。
しかし、この時代からスティービーと交流のあった実力あるミュージシャンが日本にいてくれた事は本当に嬉しい。そしてその時代にステップニーやミニーが生きていて、スティービーと出会っていたことも。


LIVE映像があったのでアップ。右二人がブレッド&バターの岩沢幸矢氏と二弓氏。
幸矢のハープの音色がスティービーの独特の音色と近いのが印象的。


最後にブレッド&バターで僕の大好きな曲は、これ。


ブレッド&バター (Bread & Butter)  /ピンクシャドウ

最初にこの曲を知ったのは山下達郎のカバーだったのだけれども、それがもう本当に大好きな曲でオリジナルを存在を発見したとき死に物狂いで探した思い出が。
ジャケットも湘南の自宅の庭で、タイトルの通りバーベキューしてるところがたまらないなぁ。

 LIVE映像は、見た頂けたらもっとわかってもらえるはず!素敵!




最高。




 これが達郎さんバージョン。収録アルバムの「Its a Poppin’ Time」では、バックコーラスが
僕が日本で歌が一番だと思う。吉田美奈子嬢。そして、Bassに岡沢章さん、Pianoに坂本龍一こと教授も参加、またまた教授の登場です。
そして山下達郎×美奈子さんの最強コンビについてはまた長くなるので後々。



春を飛び越し、夏を待ち遠しく思いながらこの曲を聴くのも凄く良いと思う。夏に聴くよりも。


ブレバタ、偉大だ。



最後に去年NOVOLさんに富山で描いてもらったこの絵スティービーを。




天才の足跡、天使の歌声、宇宙のファンタジー。Music is Love。


2013年2月8日金曜日

Fun....


Fat jon/Funkin
カッチカチに凍結しております。富山。寒すぎ。昨夜からの吹雪で思考も凍結、なんて思ったら何なんだこのつかの間の日差しは、、、、、!?

サムチャンブームはもう10年前かな?Force Of Nature、Hyde Out勢、音もアニメも楽しめた懐かしい作品です。この頃あたりはよくアニメ見てましたね。サントラもまたいいんだな。


Riow Arai Funktions

ってようつべにあがっておりません。同アルバムからこちらを。パッキパキでございます。テクノブレイクスとでもいおうか、好きです。かっこいい。
彼もアニメへの楽曲提供等あります。RIOWARAIとやけのはらのインタビューが前にWえbのどこかに落ちてたんだけど、やはりここら辺の人は、YMOに大きく影響というか、「なりたい」という気持ちからスタートしたんですね。
槙原紀之、テイトウワ、まりんちゃんや電気グルーブなどなど。YMOの影響力は偉大。ドイツではセニョココも一枚YMOトリビュートで出してたな。
ちなみにここ最近のデジタル、エレクトロ、テクノ界隈は、盟友PANKEE氏の影響が大変大きいのであります。お世話様です師匠。


おまけ。カルトQ。優勝はマリンちゃん!僕は一つくらいしかわかりませんでした。皆さん鬼ですね。

最近のちんたらした馬鹿タレント珍回答ばかりのクイズ番組よりこのくらいプロフェッショナルの方が面白い。じゃないと面白くないです。全員の機材をあてに行くところなんかもう圧巻。オタクは凄い。


ちなみにYMOに影響を受けた上のメンバーも若かりしインディーズ期に良く聴いていたであろうこちら。あろうではなく、自主作品を投稿していたメンバーですね。そして、サウンドストリートの投稿作品の中でも当時最もリスペクトされていた岡本清郎を。



続いては、こちら。言いたくないけどジャイルスプッシュで僕は拝見させていただきました。
踊れる踊れる。一度ショーケースで使ってますが、今はまた違った表現ができそうなのでもう一度挑戦したい一曲。デジタルハウス、テクノハウス、四つ打ちテクノ、エレクトロなんたら、ブツブツ。今日は比較的ラフにお送りします。にしても今日のシャッフルは調子がいいぞ。


Stimming/FunkWorm

ここらへんからもう吹雪も凍結もぶっ飛ばせそうな勢いで、コチラ。レアグルーブだ。

 The Dynamic Concepts / Funky Chicken



ディープファンクです。御大ケブダージ様と重鎮黒田大介さんのご紹介で拝見。
レア盤ってヤツです。高額、絶対に買えない。掘る事すら無理だ。当時も今も鼻垂れ若造の僕、ここはCDでゲット。黒汁飛び散る、BBOYが大好物そうなブレイクスというわけで。次いってみよー。


さて、ここから僕の表の顔、和モノが飛び込んできたゾ。

FunkyダッコNO.1 / ハルヲフォン

1970年代、片やフリージャズの闘士たちが闘っている中、フォークとか闘う目的も相手も向かう先をなくしてしまった学生達への応援歌とか、ある中、FunkyRockも日本にちゃんと根付いていました。
サイケからの流れなんですかね、ズーニーブーとか思い出すし。良い音出しますね。そして黒くない。FUNKは黒さだけではないはず。

仕掛け人は近田春夫、1975年、ニューウェイブの波はイギリスから遠く日本にまで歪曲しながら辿り着いて来たわけです。こちらFunkyダッコは1stのよう。当時大流行したキャラクター「ダッコちゃん」からのインスピレーションなのか。調べてみたら、タカラトミーの公式タイアップソングでした。近田春夫はやはり商売人ですね!当時の映像もまた良い感じです。


内田裕也的なロックンロールファンキーサウンドを追求していた~とか、言ってるこのバンド、様々な音楽が日本に大量に輸入され始めた事を感じるミックス感も拾える、そこが全然嫌じゃない。

飲み屋の先輩等に聴くと、「当時は米軍ラジオよく盗聴して聴いてたんだよー。」と本当に音楽に対する貪欲さと好奇心を感じますね。そんなドバッと、大量の文化が日本に入ってきたんだろうなというのが当時の日本から感じます。
開かれた環境、広告で提示されたものを消費することが常となった今、もうその気持ちを取り戻すには少し時間がかかりそうです。あえて無理とは言わずに。



内田裕也?
そうか、ついでにこれも紹介していこう。


内田裕也による内田裕也の内田裕也の為の映画。ビートたけしにアンルイス、横山やすしに阿藤 海と豪華キャストに、ぶっとんだストーリー。崔洋一の初監督作品であり、キョンキョンのデビュー作。そして昨年なくなられた安岡力也も出演。かっこいいです。

また音楽担当は、大野克夫、期待できそうでしょ?
エンディングテーマの白竜でちゃんとバランスとっております。

少し、脱線してしまったけど、雪をも溶かすシャッフルはまだまだ続きます。


決して駄洒落のつもりなんてつもりは。。。
続きましては、Snowboy。


 Snow Boy Funky DJembe

ジャジーファンクソウルなトラック大得意のスノーボウイ来ちゃいました。雪、このタイミングでまた降ってくる。。。聴きやすい良質90年代サウンド。チャラいです。アラフォーフリーソウルフリークな皆様にはきっと大好物。僕の知人の、DJチャラフォーaka IKDという方もピクピク反応する感じなのは確認済み。

The Outraw Gang/Funky Fast Bump



こちらもケブ様、黒田さんのご紹介系、レアグルーブ7インチ、寒さぶっ飛ばしで、軽快なジャズファンクソウル。価格は未定です!B面は、いったい何なんだろうか。高額盤はお金を払って、クラブのフロアで聴かせてもらいましょう!

続いてこちら、
Jay Mitchell Funky Fever


もう僕ら世代では、MUROさんのKING OF DIGGINその二で完全に刷り込まれたんじゃないですかね。タイトル通り、ドラムブレイクはFunky Feverにかかってしまいそうな極上さ!


ん?何かおかしいと、もうお気づきかの方もいるかもですが、、、
ラストはこれでした。


山下達郎/Funky Flushin'

最高です。日本音楽界の宝。もうこんな寒いのになんてテンション上がる選曲をするんだろうと、
ポケットからプレイヤー出し、振り返って見ると、
シャッフルになっていなく、曲のタイトル順に再生していただけだったオチでした。おかげでだいぶ暖まりました。
タイトル順で再生の時にF行に差し掛かった際は、皆さんステップ踏んで凍結路面で転倒は気を付けましょう。


今日の一曲、


COMMON/FUNKY FOR YOU
ラストは、JILL SCOTT、BILALもフィーチャリングしてたこれを。
名曲ですね。DILLAの手掛けた至高の遺作です。REST IN PEACE JAMES YANCY。
ボウリング大好きなコモン4枚目のアルバムから。

このタイトルの通り、あなたに今日も「FUNK」あれ。



なんつっ亭

2013年2月7日木曜日

今日のシャッフル、



Forss - Characteristic(2003)

ベルリン拠点トラックメイカーでその香り満載のビート。SoulHackというアルバムのタイトル曲ではないもの。ジャズ、ヒップホップサンプリングで、ヒップホップサイドやまたまたジャイルスから火がついた感じのもの。

質の良いメロウなトラックでしっかり楽しめる曇りがちな雰囲気にまた合って浸ってしまう、そんな外の天気ともお似合いで。レーベルは、JAZZANOVAのSONNA KOLLEKTIV、エンジニアにはRich Mediaの名前。


Nina Shimone/Look of Love


ジャズとの中に、ブルースとアフリカンのリズムを感じる作品の数々の中、今日はこれだったようで。様々な要素、場面でニーナの歌は重なる。「My Babys Cares For Me」。そして、もう一曲、


Minnie Riperton/Never Exited Before(1979)


チャールズステップニーついては、この後色々書こうと思う。ミニーは、ロータリーコネクションを経て、自身の病気を経て、それでも強く生き、それまでのアメリカ人女性像と改めてブラックアイデンティティに愛をもたらした人だと思う。音楽を世界に届けて。
雨粒みたいなミニーのヴォーカル。

週末は春を感じる場所に花束を持って生きたいと思う。この曲を聴きながら。 桜のつぼみを見てこよう。






惜しくもニーナとミニーは二人とも、同じ病に倒れた。
乳癌は、二人の偉大な歌手を天使の声にした。


音楽はその場面の記憶装置だなんて言う。また、あの過去の行動に音楽が当てはまったり、後の行動が、音楽に位置づけられたりする。

そういったことを考えるとシャッフルって面白い。

でも一枚の作品として素晴らしいものがある中で、
通して、聴く事はミュージシャンに送る尊重なんだと思う。これも大切なんだと。






ラストは、トキモンとSUZI ANALOGUE、Scionとのコラボ、こちらはフリーEPなのは有難い。
メロウでセンチメンタルなビート系と、SUZIのヴォーカルは日本人好みな、はず。
MP3だけど。SCIONはDapKing & Sharon Jonesの時もフリーロードとか、面白い企画やっていますね。リミックス陣も豪華なキャストでいい音たくさん詰まってたな。日本も企業もこういったもっと面白い事をピックアップしてくれたらいいですね。

Analogue Monsta - Collection Plate



Kuti 

カラクタ共和国。
ナイジェリアの英雄、フェラクティはフェンスを張り、囲い、そこに27人の妻を置いて暮らしていた。

留学期のロンドンでジャズに大きく影響を受け、ツアー期のアメリカでブラックアイデンティティに目覚めた彼が作った国だ。

外を知り、自我に目覚めた彼は音楽を武装し、新たな音楽を形成する。「アフロビート」。盟友トニーアレンと共にこう名づける。

精神が開放されたブラックパワーみなぎる彼のサウンドは、自分の中では正に起爆剤。



フェラの文献は前述で紹介したカルロスムーアの著作や、Webでも多く記事が上がっていて、
僕がここで述べるのには恐れ多いものばかり。

前にジンジャーベイカーのアフリカ横断についてここで書いたのだけれども、初めてのフェラの映像がそれが初だった事であると同時にアフリカサウンドに触れるきっかけだった。ジンジャーベイカーのストイックな好奇心にも驚かされたが、フェラ達のダンスが本当に圧巻。
踊りの根源を超えて、人類の根源がアフリカだったことを完全に感じられる。一番ナチュラルなんだろう。
現在、フェラの生涯は書籍だけでく、ブロードウェイのミュージカルとしても取り扱われ、今の時代にも影響を与えてる。また現在ドキュメント映画「Music is The Weapon」。こちらも貴重な資料として残る映画に。

肉体と音、タイトルも強烈だ。でもそういうことなんだろう。土取りさんも言ってた肉体と音。

昨日ずっとジャコとフェラの「Lady」を繰り返し聴いていて感じたのは「音楽はクスリ」でした。

とても印象的なのは、首都ラゴスのどこかにあるくらぶなのか、もしくはカラクタの中なのか、
小屋のような場所でフェラ達が踊っているシーンがある。フロアが泥のようなコンクう立派のようなそんな場所なんだけれども天井にはミラーボールがしっかりと存在しているんですよね。

それが凄い何かを象徴しているというか、やはり大切なものであり祀っているかのように感じて。


「Coffin or Head of state」(1980)





身を汚すことの快美。

男媚願望。

その最高の段階は、ファシスの少年、というと
ころかな。この世の一切の栄光と快楽を与えられ
ている訳だから。この危険この上ない。

B-3のcodaの弦楽済奏はその暗示。

例えば、免許とるとか、酒の飲み方覚えるとかっ
て全部そうなのです。だから、これは社会学であ
る訳。無希望の社会学。

日本はヘンな国だ。日本の文化はオカシイ純粋
培養。

いつもこのは世の悪を意識してなくてはだめだと思
う、生き方として。だから、私は瞑想したいのだ
けれど、しない訳です。悪を思考できなくなるの
が嫌なのです。

私はアンチ・ロマンでもないし、反心理主義でも
ないし、機能主義者でもない。だって目的は無い
のだから。

誰かのためになるなんて思って音楽作ってる訳
ではない(現在どんどんつくられている音楽のほ
とんどがそうなのだけれど。)ただ、自分のため、
なのですね。社会的な自分のため。社会に登録さ
れるというだけのため。小権力が分配される訳で
しょう。なにもしなければただ雇用されてるだけだ
から。要するに、使用人が小さな店もたせてい
ただいたのね、だんな様に。そうすると、こんど
は自分が使用人を3人雇って店を維持していく
訳です。みんながやっていることと同じ。それだ
け。

このままいって、音楽の世界にsynthesizerが
もっと普及して、音楽の作り方が私なんかが
今やっているようなデジタル的な方法に変化して
いくと、耳が変ってしまう。決していい方にでは
なくて。そうなると伝統的な感性の文化的拘束力
が勝つか、テクノロジーが勝つかの戦いになる。

どうやら「瞑想」っていうのは、今まで緒々の文
化メディアが荷ってきた、意識の自己再活性化機
能を人為的にテクニカルにコントロールしようっ
てことだから、社会的に云えば、自己検閲済人民
抑制法だと思う。そうなるとやっぱりこれからは

アポロンとディオニソス的に精神界の戦になる。
自分をひたすら自動反射ロボットにしようという
志向との戦いですね。前者はすごく健やか、後
者は敗北主義。しかしながら、ヒットラーは後者
に属している。後者にとって前者は使用人にする
のに最適だ。そして、どっちも嫌だ、という第三
勢力である分裂症群がいる。私はここにいる。こ
ういう輩は音楽産業とか牢獄に幽閉されるだ
ろう。軽度でガードマン、中度でミュージシャン、
重度だと病人、というわけ。

だから音楽で人を救うなんて絶対にできっこない。
救われないと思っている奴らの嘆き節なんだから。

かくいう私の音楽もまさにこれですね。立派に嘆
きたいと思ってますよ。どうせ落っこってくる
のだから。

嘆いて、救われないということすら忘れている、
救われない人たちに、その救われなさを一緒に歌
ってほしいと思ってる。ホントは。
一緒に死んでください       

                 坂本龍一




過去にもDisapointment Haterumaについて書いたが、最近知り合った盟友山田氏と昨日の酒の席でまたこの話になった。むしろまだまだ土取利行について知りたい自分が親交のある山田氏に問い詰めるような形。もちろん教授の名前も出てくる。今の自分の最大のエネルギーだ。

上は教授の78年発表したデビューアルバムであり、衝撃的なライナーを残している。
考えさせられる印象的なライナーは、学生を卒業、音楽を糧とし社会に飛び立つ若き教授を伺える内容とも言える、いったい何を思っていたのだろう。酷く冷静な葛藤と感じる一枚。当時26歳。

しかし、坂本龍一名義として初めて出したのはやはりDisapointment Haterumaだ。75年、夏。衝撃のフリージャズを叩くデビューアルバムである。大学在学中時の事。

75年から78年の間は教授にとって、数々のスタジオセッション、客演を広め、そしてYMO結成をした時の事だ。それから同年の78年にソロで上記の作品(千のナイフ)を残した。細野(晴臣)さんとのぱらいそや山下達郎のイッツアポッピンタイム、そして浅川マキとの76年の灯ともし頃」もこの間に位置する。
クラシックを脱し、民族音楽、ジャズ、ロックに触れる、その他にも多くの客演を飾る中で、YMOを形成していったその流れは、本当に恐ろしいほど激流的な怒涛の挑戦だったに違いない。

Disapointment Haterumaは、しっかりその最初の作品として位置づけられる、しかし公式になっていない。その事を考えると、土取利行主体に進められた作品なのかとも感じるし、より深いもの、「何か」なのか「若さ」なのか、同時にがむしゃらな中の葛藤の末とも想像してしまった。

僕の中で教授のキャリアはYMOが作ったと思う。もちろん同年にソロとして、残した事には、74年くらいから78年の最強に濃い出会い達があったからこそ教授が生んだものとしては間違いないし、80年代を超えても転換点は多くある。

Disapointment Haterumaは、バリケードを張り、学生運動に取り組んでいた信念を油に動く、坂本龍一の行動エネルギーと、土取利行のフリージャズとその時代への叫びのぶつかり合いなんだろう。その通り一瞬なのかもしれない。幻として。


1975年、高度経済成長の中、日本。ベトナム戦争が終結に向かい、学生運動も最後の熱を持ち、自分の未来と信念、国の為に闘いに疲弊を感じ始める。内ゲバへと向かい、暴力が大学で蔓延し、恐怖と粛清という名に若い命が堕ちていく。沖縄返還を向かえ、闘争の対象の一つであった反米感情はどこに向かうのかさ迷い、次々と潰されて、踊らされていく運動の中、音楽が残った。


沖縄返還前の日本最南端の島、波照間(はてるま)島と、赤道を軸に、ちょうど緯度において正反対の場所にあるオーストラリアのディスアポイントメイト・レイク。

マキの歌と坂本のpiが、寂しさを聴かせる。


そして、「ボク、今でもジャズには否定的です」と、再発のインタビューでこの作品に対して今になって語る教授はスコラでこう残している。


~フリージャズ。「演奏が終わると音楽はどこかへ消え去ってしまう。そして二度と捕まえることは出来ない」スコラ 坂本龍一 音楽の学校。~


 『誰もぼくの絵を描けないだろう』



昨日は、仕事終わりにそんな話の理解者であり、先生でもある山田氏を誘い、駅前へ。
寂しい街は、地方と時代にかわされて、風化し、味を出していく。 そんな中語り合っていた。
「顔と顔とで繋がる鼻緒と言ってな、出会いがあるだろ。酒場の席には服が落ちてる。」
改めてそうなんだなと思い、富山の夜を楽しんでいた。

山田君が、「真太郎さん、土取さんもね、踊るんですよ。かけあうんです。」

やっぱぐっと来た。
最近の自分の全ては、土取利行とミルフォードグレイブス、「ナチュラル」だ。


今日の一曲、

Donald Byrd & The Black Byrds / Loves So Far Away

また寒くなって、相変わらずのどよついた空と空気。夜は酷く冷えて、人の気も消されたかのような静けさは、毎日続く。たまらなく好きです。各々パートで引き立っていて、繊細な演奏ながらも疾走感溢れ、かすかなボーカルと、後半のドラムブレイクは、おかわりしても飽きず、現在からの開放を後押ししてくれるような。




勢いで、山田君にヒップホップを聞くのか聞いてみたりした。
「あー!昔結構聞いてましたよ。」「2000年くらいまで?」「いや、もうチョイ聞いてましたね!」
多様性に長けた、地方に馴染みやすいものなんではなかろうか、と山田君は捉える。各地方の色感なりコミュニティ間を感じて、没頭していたみたいだ。
すっかり、60-70年代のコアな邦楽やフリージャズやノイズ、実験音楽に長けたイメージを持っていたのだが、、そこからも話が色んなジャンル、方向へと掘り進む。

今まで見てきたライブの話や、バークリーの限界を「学ぶ事」「感じる事」の所にあるんだと思うなど、また彼自身ドラムとベースを嗜んでいるなど。

気が付くと僕は、この本を注文していて、
晴さんの「もうそろそろ閉めっちゃあね。いつもありがとうねぇごめんねぇ。」が響いた。






思っていたより、いつもよりお会計が安く感じたというか安かったのがまた面白くて。
今日の市場と晴さんの気まぐれに感謝。

「酒場には福が落ちてんだよなぁ。」
石倉三郎

2013年2月5日火曜日

Lady

一昨年訪れた熊本のとあるクラブである人の名前を聞く。
「どらびでお」を知った瞬間「何か」が壊れた。

ちょうど友人の結婚式で天草に訪れる際、まだじっくり歩いていない九州を少しだけ散歩した時の事。



旅に出てもその町の何か面白いものを探す時、音楽を頼りにする。
そこで知らなかった世界を知ったような感覚や糸が紡がれたように出来事や人が繋がることが良くある。


それから「鈴木昭夫」に今辿り着くには、それからだいぶ後の事だ。

彼の音を出す雰囲気は、神々しい。自然とつられて原点回帰、自分の行動のルーツをたどってしまう。

彼は、本当にシンプルな言葉で僕の踊りにヒントをくれた。
決して自分の行為を説明したり、踊る意味を言葉で説明したいわけではないし、何も考えないよう、自分を発散させる為、体を動かすだけでもなく、誰かに見られ何かを思われその感想を時々聞く事でもない。 全部続ける意味をたどる大きな意味の一つずつ。

音の「なげかけ」と場を「たどる」行為の繰り返し、自分のフィルターを通し(聴く)、「踊る」ということを模索し続けている。

そうなんだと思う。


http://www.akiosuzuki.com/web/profile01.html



とある中国の山間の村を結ぶ谷の道で、とある日本人が、自転車に乗った中国人の男とそこに立ち止まり、すれ違い、通りかかる人達を見た。

自転車を止め、積み荷から椅子を取り出す。村人達はおもむろに腰をかけ、男は腰に据えたハサミを空中に掲げ、動かす。
日本人は、風にそよぐ髪、谷へ吹かれる髪、その情景と手つきに魅了された。


日本人、本田三紀夫の記事を読んだのは高校生くらいだろうか。彼の独特な語りとインタビューを書いた記者のやわらかい記事にまだ若い自分も目をつぶらずともその光景が浮かんできた。

当時はカリスマ美容師なる言葉が生まれ、なりたい職業も人気というくらいに流行していた気がする。その中に一人の落ち着いた美容師のインタビューに僕は胸を掴まれた。

「テクノカット」の生みの親であり、代官山という土地に美容院を出した先駆けの存在、一世を風靡した彼のスタイリストの経歴の中には、多くの著名人がいる。

しかし彼は、ある時を境に何かに気付く。多くの店を持っていた最中に突然彼は全てを投げ出す、といった中盤で記事は局面を迎える。

結果的に、彼は経営していた美容院を譲った。きっかけは上に書いた中国の旅なんだろうか。
ひとつこじんまりとした店のみに彼は注力する。

髪を触って、頭を触って、話を聴いて、初めてイメージが沸く。
いつの間にか数分程度客と接して、少し髪を切って、後は全てアシスタントに任せる事になってしまっていた状況に疑問を持っていた多忙の日々の中彼はシンプルに目覚めた。

目黒にあるbijinには、座る席は一つしかない。昔は電話もない。場所もうっすらとしか教えない。

僕の理想の美容師は、「あの時、見た中国の光景だな。絵になるんだなぁ。」と嬉しそうに答えていた。

通りすがりに髪を切るその光景を待っているのか。この人に髪を切って欲しいという初めての感覚と僕の願いはまだ叶っていない。


http://bijin-mikiohonda.blogspot.jp/




今日の一曲、


このアルバムでふっと何かが抜けたような空間を演じている「Three Views of a Secret」は、
ふと思い出す、そんな名曲。この何年か後に思いがけない出来事で誰も願っていない永遠の眠りに着く事になるジャコパストリアス。ジャズフュージョンってなんなんだろう。ジャコの波乱に満ちた人生に、自身に何を思うんだろう。

温かくなってきた春の気配を感じさせてくれる。けど、また明日から寒くなるんだろう。そんな雰囲気も混じっている。タイトルと曲を重ねて。

 Jacoの人生を思う。あっけないと言っていい。儚い。




               


左手は良好だ。体も戻ってきた。しかしまだまだ思い切ったスタートを切れない微妙な助走に焦りつつ。

カラクタ共和国で音を武器に叫び続けた男の音楽に影響されて熱くなって。

「気付かないように変化していく。」

こんな言葉を彼は残していたみたい。最近ではWax Poeticsでの記事が新しいが、その記事でも引用されている親交のあったカルロスムーアの記事での一文を最後に。


「食べること、飲むこと、そして楽しむこと、なぜなら人は明日には死を迎えるかもしれないからだ」
カルロス・ムーア著「フェラ・フェラ」(フェラ・クティの伝記)より