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rain

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kller

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2014年6月30日月曜日

ハバナその二。






先日のゲリラ豪雨。

すっかり我が家の前は浸水です。
(二階で良かった。ベランダから見物です)

とまああまりにも凄まじい雨の降り方と落雷でわくわく。


飛び出して見ました。






良いの撮って貰いました。


軒先の店が大変な事になっていましたがはしゃいでしまい申し訳ないです





膝まで水来ました。


途中から下水が上がってきそうだったので脱出です。







にしてもこの日は新宿で焼身未遂スタントや渋谷のマンホールはぶっ飛ぶは、大変な一日でした。


これからもっとどうするべきかを考えながら生きていく事が大切ですね、
感情的な意思のみでその後の意見がない。


とても奥ゆかしいなと見ています。


W杯と改憲反対運動は似ているなあ。








キューバは共和制国家として、
アメリカ領地権をクーデターで獲得した後この60年間はゲバラ、そしてカストロにおいて長く続けられていました。

社会主義が何故このカリブの島では成功したんだろう。

僕はこの南国のゆるいムードが彼らにとっての幸せを感じさせてくれてるからだと思います。

必要最低限。

ギリギリの貧しさのこの国は最低の保証を国民に与えます。


日本ってのはもっともっととおねだりする国民ですかね。


税金払った分だけ、よこせ的な。


年金をしっかりくれよ、的な。

一円でも多くくれよ的な。






人間らしく、生きるとか
人間社会の中でらしく生きるとか色々考えませんか。



キューバの前に寄った、ロスやベガスで僕が手に入れた宝物は久しぶりに会った仲間やHiphopを通じて得た純粋な感動でした。
変えられない経験も合わせて人との出会いが生みます。


アメリカの物欲にまみれた街や社会には本当にお金がないと楽しくない。
その欲に終わりは見えません。


キューバでは、何もかもが先進国より貧しいと言ったらあれですが、日本は圧倒的に溢れています。

しかし勿論彼らは欲しがってもいる。
欲がないわけではないです。

でも僕達日本人の様な狂った物欲とは天と地のレベル。




イヤホンを露天で売る若者。
お土産を売る人達。
閉店間際の全て品物の売り切れたマーケット。


必要最低限の服。
音楽と踊りとロン。


これ以外に彼らは何がいるんだろう。


僕は今キューバに行く事を勧めます。




キューバはここニ三年に大きな動きがありました。

それは民間の営業がOKになった事。
個人営業が可能になった事により、店を出し、観光外貨を得て、生活差が出てしまった事。

ヨーロッパ系はやはり働きます。
黒人はやはり仕事をしない、どこか抜けている。僕の一個人としての感想。
そして黒人はこう言います。
「あいつは金ばかり稼いでる、金持ちだ。」と妬みが生まれました。

ヨーロッパ系キューバ人はそれに対し、黒人の妬みに嫌悪し、
「ゲトーは黒人に気を付けて。危ないよ。」と、言ってたりします。



今まで表面では大きな人種差別はなかった事はとても素晴らしい。

人間に欲が入った事により、キューバにも少し人間の感情に動きが見えてきた感じがしました。





先進国の欲が輸入され、観光の発展により情報も国民達に入る。


カサが観光用として定められているのは、先進国の情報を制限している、一面もあります。

共和制を保つ為に先進国の欲は、
悪です。



初日にやられた外貨の両替を確認するべく、ハバナの新市街を歩いていると
街は廃墟一歩手前。

アメリカ時代の鉄筋コンクリートの大きな怪物が、そびえ立ってホテルを営業していたり、人が住んでいたりします。



良く僕が話す人間の軽い飢え、
の状態について。


これがキューバの人達から感じられました。


醜くない、より人間らしいキューバの人を見て、触れると僕もより人間臭さを得られた感じがします。




僕はひたすら歩いて、
街を人を
ただ見るだけ。


不便なのか、
利便なのか、
満たされているのか、足りないのか、
辛いのか、幸せなのか、


環境と人間について深く痛感したのは、


日本とは地球の裏側にある南国の国、

敢えて共通するのは同じ島国ということ。



若者達は先進国に憧れ、

年の過ぎた大人や政府は、過去の戦いの栄光と、今の幸せと、今も戦っている事を誇る。



僕はiPhoneのカメラを街の色々なモノに向けて、少し隠しながら。

歩く僕を物珍しそうにキューバの人は僕を見て。


なんか知らないけど敬体で。lol







2014年6月29日日曜日

代々木ハウス情報

こんにちわ、
代々木ハウスです。
いつも楽しい皆が遊びに来てまったりくつろぐ僕らの家です。

そんな僕達代々木ハウスの人気のゆるバルコニーにはこんなものが設置されたよ。



キューバの海で見つけた貝殻達。




インセンスドネーションボックスです。

焚きたい人はここにチャリンと入れて欲しいな。
希望の香りは近所のお香屋で買ってくるよ。


今なら欲しい人は良いことある貝殻を持ってってね。一人一つまでです。




サマーウォーズの僕らの夏の夢を聴きながら、出掛けなきゃね。

2014年6月27日金曜日

ハバナその一。


起床

外が賑やかな感じ。

夜がよほど静かだったから。



窓の小さい鉄筋コンクリートの部屋は青く外の風景が分からない。

am8:00
日本にいた時より早起きの毎日を送ってる。

エアコンの心地よさからして、外は暑いんだろう。



ハバナの太陽を浴びる期待が膨らむ。






朝は朝食があるというので起きたらリビングにおいでと言われていた。
そういえば昨夜に何時に起きるか聞かれた。

疲れでぐっすり寝ていたけれども目覚めが良かったのはそういえば朝食を気にしていたんだな。


彩のキッチンにはイヴォンのお母さんらしき人が立っていた。

おはよう、とにこっとされて今準備するからねと言われ、
待っているとイヴォン向こうの部屋から来てくれた。





昨日の夜は寝れた?
と聞かれて、ありがとうと寝れたよと。

昨日は興奮で少し寝付けず夜更かししていた。

鍵を開けていたらいきなり黒人の男の子が入って来て、お互いにびっくりした。

イヴォンには可愛い娘さんがいて、
きっと友達だろう。

部屋のドアを閉めた後、客がいてびっくりしたよ。日本人かな?怒ってないかななんて声が聞こえて来た。





シンプルで美味しい。
これは嫌い?好き?と色々聞いてくれる。

僕は客でお金を払ってここのカサに泊まっているが、まるで招待された客のような感覚だが、当然のホスピタリティかと考えてしまった。
でもこのホームステイな感覚が面白かった。

朝食はエスパニョールで何?
卵は?
ミルクは?
ハムは分かる?
なんて教室が始まる。

僕もせっかく来たのだからスペイン五を学んで帰りたいと必死にコミュニケーションを取った。


なんとなく単語は覚えて来たが、文法となるとテンパる。

決まり文句は覚えて来たが、レスポンスが分からなくてこれまた大変だ。

持って来ていた辞書と、ノートとペンをテーブルに並べて、行儀悪いながら
勉強会が始まった。

おばあちゃんはくすくすと笑いながら、イヴォンは笑顔でそうそうみたいな感じで答えてくれる。




朝食を食べていると、イヴォンが後で私の友達が来るから紹介するわ、と言った。

彼は英語が話せるからあなたの今後の旅やキューバの事、ハバナの事なんか聞いてみたらいい。
と気遣って呼んでくれたようだ。

イヴォンもスペイン語を全く話せない自分に少し戸惑いはあったんだと思う。


朝食を少し早く済ませた。勉強で時間を取ったのか、少し早くして欲しそうに昼から出掛ける事を僕に言って来たからだ。

海は遠いの?
と聞くと、少し遠いわよ。
でも明日は休みだから娘と車で海に行くからあなたも行く?

と言われたので予定のない僕は是非と答えた。


バルコニーから通りを覗くと晴天だった。



雲は沢山
湿気も少し
日差しが当たるとキツい

寂れた街の通りとスペイン領地時代のコロニアル建築の趣が幻の街のよう。
タイムスリップしたかのような感覚だ。



後ろから、
僕を呼ぶ声が聞こえてイヴォンが老人を一人連れて来た。

彼は英語で僕に話しかけ、リビングに腰掛けた。

名前が売る覚えだが
アントニオだった気がする

僕はキッチンに起き忘れたメモと辞書を取りに、ちょっと待ってと言いとりに行く。色んな情報をメモっておこう。



ハバナはどうだい?何の為にキューバに来たんだジャパニーズ。

キューバの音楽と歴史を見て見たかったから、ゲバラが何故この国に命をかけたのかも興味があったから来て確かめたかったんです。


そうか、キューバは素敵だよ。ラムと葉巻があるサルサが好きなのか?しかし君が思っているようなモノは何もないよ。ただゆっくり時間が流れているそれだけだ。

僕は勿論何かを求めてここに来たんだけれども、そこまでこれ!という強い思いはないキューバで音を聴いて踊りたかっただけだと伝えた。


そうか、と笑顔で頷き、日本やアメリカの事を聞いてきた。
日本人に会うのは初めてらしい、50年代の昔はアメリカにも行ったらしい。

今は経済制裁で事実上は離れている。
彼は60を超える老体だが、色んな歴史をハバナで見てきたんだろう。

地図を持って来て、日本の場所を見つけて指すと行って見たそうな顔をしていた。


これからの予定は?誰か知り合いはいないのか?

僕が横に首を振ると、もう一度キューバには何故来たかと聞く前に、この国は音楽の国だよ、と答えた。

サルサは沢山ある、毎夜何処かで演奏され踊っているよ。
クラブではバンドがレゲトンにメレンゲ、ルンバ、有名なミージシャンも出てるし行って来るといい。

サンテリアはどこで聴けるの?と聞くと、アントニオはサンテリア?と首をかしげた。


ああ、と納得した様で特に感動した感じもなく無表情に

サンテリアの時に演奏したり踊られる踊りか、チャーチの方やアメル通りの方でやってるなあ。

僕はサンテリアがとても気になっていてサルサやラテンの音楽のルーツなんではないか見てみたいと言うと、

サンテリアは音楽のジャンルではないし、踊りでもない。
狂った様に太鼓のリズムに体を乗せ、乗り移った様に踊る光景は凄いよ。
とりあえず行けばいい、朝早くにやっていると思う。


サンテリアはキューバの民間信仰の一つの宗教だ。
日本にいる時にNHKに務める音楽の知恵袋と僕のメンターでもあるY氏に教えて貰った事が始まりだった。

日本で聞くサンテリアはかなりの好奇心で僕を盛り上げた。
早く起きれるかな。今度もう一度調べよう。


彼はキューバはどこまで行くの?と聞いて来て、サンタクララでゲバラ碑を見て、バラデロ、最後はサンチアゴクーバまで行きたいことを伝えるとまずはハバナにも良いところはあるし、見るといいと笑顔で行ってくれた。
そしていつまでいるの?と聞くと、全部回るにはかなりの時間がかかる。キューバのバスや交通機関は日本の様に進んではいないから飛行機で行かないとキツいよ、教えてくれた。

これは僕にもわかっている。
今回の日程では全てしっから三泊ずつくらいで行く予定だ。移動も20時間とサンチアゴからハバナは往復で二日かかる。
途中のアクシデントやトラブル、天候も考えるとかなり多めに余裕を持って行かないとな、と久しぶりの海外と初スペイン語犬ということでナーバスになっていた。

とりあえず時間はない。といってもプランは、アバウトでないようである。


バルコニーの外の日差しにわくわく目をやりながらアントニオおじさんに、挨拶をし、外へ出掛け、ようとしたが、イヴォンがコーヒー飲む?と、コーヒーを持って来てくれたので美味しく頂いた。


キューバのコーヒーはどう?
美味しい?でしょう?



とても甘みが強いのに豆の味が力強い。


カリブ島の土と太陽の力を感じるコーヒーはエナジードリンクのように何かがみなぎって、かつ心を落ち着けた。












2014年6月25日水曜日

キューバその二。


ホセマルティからハバナへ

荒れた道が続く

タクシーはハバナへ向けて爆走をしている

キューバの暗い道を

全くどこを走っているかわからない

さっき買った地図を

時折道に生えている街灯を横切る度に窓へかざして確認したりする


しばらく走ると大きな建物が見えてくる
その少し先にはバス停や建物の前に人がポツポツと見え始めた





信号も特に少ない





時々捕まる信号でさっきのように地図を見る


大体ここらへんだな
検討がついてきた


このカーブここで、
ここを右折って事はここか。



そんな事を考えてからしばらく行くと住宅街のような街に入った。

暗闇のゲットーに入ると家の前に少し古い服を着たヤツらが、ぽろぽろで始めていた。

タクシーもよりゆっくりと走る、
少しすると止まってここだと、指を指す。


鉄格子の付いた鉄筋の建物の二階にに灯りが見えた。


ドライバーは、30cucを要求してきた

スパニッシュが全然まだ慣れないので
?な顔をして空港での件もあったので慌てた感じにしていたらわかったわかったと20cucにしてくれた。

あとで調べるとかなり乗せていたので
かなり正しい料金には持ってこれていた


荷物を降ろして、運転手は家の人に呼び鈴で応え、二階の窓から顔を出している女に話をすると

家のドアが開いた。


カサパルティクラル


そう呼ばれる民宿にはこの青の碇型のマークが置かれている。

青は海外観光客赤は国内キューバ人の宿だ

鉄格子を開けて玄関から出てきたのは少し眠たそうな女だった。

イヴォンという女性だった。


彼女は軽く挨拶すると少しだけ笑顔をくれ、中に入りなさいと言う


大きなスーツケースを持ち上げてタクシーのドライバーにありがとうと伝えると

やれやれ顔で楽しんでねと僕に返して来た。



狭い階段をゴツゴツとスーツケースをぶつけながら長いフライトと荷物とナーバスさですっかり体力を奪われていたのか家に着くと凄く疲れが出た、


階段の薄暗さ、古さはキューバの貧しさに感じた。

部屋に案内されると懐かしい形のエアコンがあって部屋は冷やされていた。

きっとイヴォンが僕が来るという事で
エアコンを点けていてくれたんだろう

青い部屋はとても薄暗く、雰囲気に満ちていた。


シャワーとバスとトイレの場所と使い方を教えてくれ、ありがとうというと笑顔を返してくれた。


向こうの部屋には娘がいると紹介してくれ、可愛い年頃の娘さんを紹介してもらった。名前は忘れた。




部屋で荷物の中身の確認や両替所でやられたことも勘違いではないのかと金を数え直してみたりとりあえずこへからの旅の整理とした。


明日からどうしようか、
軽く考えていた予定もよりしっかり見えてきた


ほとんどが頭の中の整理

色々思い返したりアメリカカナダで使ったものや手に入れたものでキューバでは全く使わないだろうって物達を完全に片付けてしまった。


階段と部屋の廊下にはwin95のマシンで
ゲームがやりかけで置いてあった。

部屋に荷物をおいてある程度確認し、
使えはしないけど携帯の充電をすると、安心してこの家を少し探検したくなった。


運転手が道から声をかけた、窓に面したリビングが隣だったので覗くと、コロニアル調な置物の部屋にソファで二人くつろいでいるのが見えた。

娘とイヴォンがテレビをシェアしている。

そっと顔を出し、スペイン語で答えられないのでちょっとそと見ていい?と聞くと理解してくれて、テラスへ出してもらった。

ここはハバナの旧市街と新市街のちょうど間。

近くには大学がある。




均等に並んだ鉄筋の古い建物で作られた街並み


路駐された車達、時折見た事とないビンテージカーも見える。


空を見ると少し曇っていた。


カリブ海のど真ん中で曇りか、、



星は出ている

少しだけ湿気がある

肌に汗がまとまりつく、暑い


いよいよ遠い所まで来たんだな

空を見て思った

仕事を辞めたこと、この六年間、

これからのこと、この旅のこと、

写真撮っていいかな?
とiPhoneをかざしてイヴォンに尋ねた


彼女は写真ね?と理解してくれ笑顔で応えてくれた。



写真を見せると彼女は喜んだ


彼女の笑顔の可愛さにこんなに素直に構えたものに向かってくれる事があるんだと、胸を打たれた。





ほのかに冷たくて気持ちの良いシーツに飛び込んで天井を眺める。






いよいよ明日からキューバの宛のない旅が始まる







キューバの朝が来た。


いつもより早起きだ。







2014年6月23日月曜日

キューバその一。



トロントから五時間半
キューバのホセマルティ空港に着いた

飛行機のドアが開いた瞬間蒸し暑い空気が一気に機内に入って来る。

満室の機内は一斉に降りる準備をする人との密着と熱気で一気に汗が吹き出た。

隣のおじさんとは会釈をし、お互い混み合うバゲッジクレームへ。

人ごみの中へ消えて行った。

メキが多い人混みを掻き分け、自分のスーツケースを探すが見当たらない。


かなり不安になっていたが、五分程経つと出てきた。かなり傷だらけになってる。
いい味が出た。

というわけでトランジットで荷物が不安だったがしっかり見つけてセーフ。


ふと、荷物を手にし周りを見回すと空港の寂れ具合が目に入った。


入国の列では僕だけがアジア人だ、さっきのおじさんは見当たらない。ヨーロッパ系のヤツとメキシコスパニッシュ系の皆が別れて並んでる。


入国審査は厳しい目をしたヤツが二人立っていた。



痩せた二人は無口に旅行者を捌いてる。
笑顔を一つも見せずに大手荷物の旅行者達をジロジロ見ながらさっきまで騒いでた旅行者もシリアスに対応してるのが印象だった。

アメリカから来た自分はどんな反応されるのか少し気になった。
バンクーバーからロスに飛ぶ時、アメリカの入国をカナダで済ませるんだけど、今回キューバに行くチケットを見られた時のあのトラウマがここでも出るか?と少しフラッシュバックした。


日本から、
何日、
ハバナからどこへ、
仕事は、

いつも通り基本的な質問を応え、最後にじっと見られたので笑顔を返すとありがとうと日本語で言い、パスポートを返してくれた。



いよいよキューバ入国だ。
ゲートをくぐると、雑踏としたターミナルが広がっている。


蒸し暑い、独特な匂い。
エスカレーターを降りて下るとインフォがある。


とりあえずホテルをとらなきゃ。
事前に調べたカサの電話を調べたのでそこに電話するため電話ボックスを探す。
カウンターの色っぽいお姉ちゃんに電話どこか聞くと、空港の外にあるから右に曲がってとのこと。


雑な対応だが、ラテンなお姉ちゃんが良い感じだ。
しばらく歩くと潰れた電話ボックスを見つけた。
隣のボックスは電源が切れて埃をかぶってる。


デーム。
携帯が使えないってスリリングで中々面白い感覚。

今回の旅はiphoneを持ってポンポンwifiを使ってその場限りで難なく旅をして来たけれども、キューバはwifiもない、電話使えない。

少し強がると、良い焦り。


とりあえずインフォの電話を借りようと空港の中へ戻る。その時改めて周りを見回すと、バゲージの人混みがタクシーや迎えを待ち、再会の人々は熱くハグしていた。

僕のような旅人はもういなかった。


熱いハグの関係は、互いがキューバ人?
旅行に行けるのかな。
多くの荷物は家族の為なのか。
色んな事を考えながら




インフォのロビーで再び質問。
向こうは英語がままならないし、こっちはスパニッシュも分からない。
とりあえず電話貸してと頼む。
iPhoneに入れて来たスペイン語辞典とwifiがないので使えない。笑


1cucで貸すよと言ってくる。
まだ金の単位がイマイチ分からないけど、なんとなく高いのはわかってる。
あと、まだキューバで両替していないので、金がないからタダで貸して?とお願いしたら、は?みたいな顔をされた。

カウンターの横にあったガイドマップをとりあえず持っていたら便利だなと思ったので、これ買うから貸してよと頼んだら渋い顔して頷いてくれた。

何かしらマップも必要となるだろう。
地球の歩き方とマップ、後はやっつけで二週間前に買ったスペイン語辞典。

これをボロボロになるまでずっと持ち歩いた。


あらかじめ調べておいたカサへ、電話をする。
が繋がらない。掛け方が間違っているかもしれないからかけてもらっても繋がらなかった。

ただでさえアバウトな国だろう。
もう22時を過ぎているこの時では中々ホテル探しは難しいのかもしれない。

キューバでは、カサと呼ばれる民宿に泊まる。

国が許可した国民の家で、税金を国に支払う事で営業が出来る。

ホテルは古くて高いので大概はカサに泊まるのだけれども、カサは人んちだから遅い時間は捕まらない。


やっぱ予約しとけば良かったかなあ。




何軒か掛けるが繋がらないので、諦めて空港で、寝るかと少し落ち込みながら考えていた所にカウンターのお姉ちゃんが、
友達の家のカサ紹介するからそこはどう?どこに泊まりたいの?と聞いてきた。
ハバナの旧市街が良かったが、新市街でも良いかと聞かれたので了承し、電話をかけてもらう事に。


値段も30cucと平均だったので良かった。地図を見ても場所も悪くない。


電話をかけたら無事OK。

タクシーも知り合いのおっさんを外から呼んでくれてここまで乗せてったげて!とスパニッシュで言っている。


おじさんも親切でうんうんと頷いて任しとけみたいな感じで軽く微笑んだ。



一通り決まった所でそういえばキューバ紙幣がまだゲットできていなかったのでさっき電話を空港の外へ探しに行った時に行列だった両替所に行く。


まだ混んでいたが、5分くらいで回ってきた。

とりあえずキューバではUSドルで両替すると何故か10パーセントTAXを取られてしまう訳わからない制裁がある。

でもまあ分かる。

アメリカと経済制裁状態だから。

日本円は無理と聞いていたのでカナダドルで換金すると良いとの情報も頼りにカナダドルで換金。


スーツケースの奥から封筒を取り出し、サッとカウンターに出す。

ここもカウンターのお姉ちゃんもこれまた美人。

スパニッシュ、ヨーロッパ系で態度がやさぐれているけど本当に美人で可愛い。
また足を組むポーズもパンツが見えそうな。


ここで僕は最大の失敗に気づく。


換金のレートが書かれていたが、
打ち出された文字はかなり低い。
あれ!?900ドル入ってなかったか?!

ちょっと計算おかしいんじゃねえの?
ってもいっかい数えてよ、とお願いするが、ここのお姉ちゃんは英語全く通じず、いや通じないフリだ。

一回封筒返せって言って、取り戻して数えたら足りない。600ドルしかない。

絶対やられた。

中身を数えずに封筒を渡してしまった自分を悔やんだ。


ベガスでのせっかくのwinが。。。


これはかなり旅の終わりまで凹んだ。

なんせ貧乏トリップだったので。

カウンターの下の棚に雑に置かれた紙幣がある。
そこにもちろんカナダドルもあるのだが、絶対そこに僕の金もある。あれだー。ってなった。

それ俺のだろ!って言ったけど、ふん、みたいな感じです。

渋々返してもらった金を数え直して、カナダドルを200追加して両替終了。


ここで背筋ピンと出来て良かった。

勉強代です。

 そういえばキューバ何も情報知らないし、ちょっとノリだった。
かなりナーバスだったけど、どうにかなるでしょって感じでちょっと注意力
足りなかった。






待たせていたタクシーのおじちゃんに再び挨拶し、重い荷物を乗せて暗闇のハバナへ出発だ。

街頭なんてほとんどない。


荒れた国道、薄暗い街灯、

人通りのない広い国道。




ここからハバナは20分くらいらしい。

猛スピードのタクシーは今夜のカサへ急ぐ。








Alex Chiltonが最近マイブームブルーアイドソウル




続く



2014年6月8日日曜日

viva la cuba


六月の雨

浮かぶ曲達










音を求めて
 浮かぶ風景達





べガスの時間潰しは続く
タレルの世界





doze


hiphopはtoolとして
artに形を変えて

色々な形に変化し
そして求められる



green

それが僕を刺激する










華やかな欲望の街




全てが綺麗で






 













いよいよ離れる

僕はその時ラスベガスにいた

という事実だけが残った





もうすぐ離れる



行く手を阻むスロット達が
空港までも



ギャンブルはそんな上手くはいきません










さよならアメリカ








再びカナダへ

モントリオール



トランジット
夜に到着し半日しか時間がないので
宿代ももったいなくそのまま空港で寝て少し色々キューバの情報等
整理をする
そしてそのままトロントへ

この夜はとてもドキドキしていた

久しぶりのあてもない
海外の旅
昔のように踊りの為に
ではなく

音楽を軸にその街の人や風景
生活、文化
触れて自分の心がどう踊って
変化をしていくか




朝が来た

夏を追いかけるように暖かい所へ逃げて来た旅も少しずつ限界を感じた




20131101

山の向こうは雪が見えるカナダの景色
日が出れば
太陽の暖かさに感謝する



wifi環境が悪いので中々情報に時間がかかるので後は行ってから決めようと思う

出発前はハバナへの到着が夜遅い為、
しっかり調べようと思ったが
行き当たりばったりで行こうなんて
気持ちになった



少し食事をとることにした
カジノで最後かなりすったが
なんとかあの欲深い国から
winで600ドルくらい
持ち帰ってやったので


あー食べたい
本当に高いので払う気にならない

食は我慢の旅だ

生きる分だけ

軽い飢えで


LAでsquidにもらったBTTBを
表紙が僕のレジェンドswiftrock



トロントの空が
晴れて来た

夕刻出発
もう少し

















夕陽を越えて





トロントからはエアバスの320
(昔空港で働いていたので少し詳しい)

隣の席に座っていた人がアジア人
日本人?かなあと見ていたら
イミグレのカードを配られた時
迷っていながら漢字で書いてるのを見て話しかけた。


これ、こう書くと良いですね、


あ、ありがとうございます。
お一人ですか?

はい、初のキューバです。
キューバにはお仕事ですか?


いいえ、定年で今まで海外行った事なかったのでキューバへ思いがあったので来て見ました。

凄いですねっ。お知り合いがいるのですか?

うん、まあ今先にいるのでそこを頼りに。
あなたは?

はい。僕も初めてで。
そうなんですね、定年ではないですが僕も退職で見たかったキューバへ。

そうなんですね、気を付けてお互い楽しみましょう。
さあとりあえず住所貰ったんですが辿りつけるか。



窓の外を見ると、
夜のハバナが光っていて、
海をなぞって見えた


念願のハバナ、見たかったキューバ


人生で一番ドキドキした時。