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2013年1月29日火曜日

Bijin


昨日は久しぶりに書店でBRUTUSを手に取った。特集は「カラダにイイコト」。
口に入る食べ物から、運動をすること、身の回りを取り巻くもの全て、もちろん音に然り様々なことが書いてあった。

ミルフォードグレイブスは下記でこんなことを言っている。




「体にはいい栄養をあたえてやらなければいけないとか、空気はきれいな方がいい、また美しいものを見たいというが耳に聞かせる音楽の質には無頓着だ。
大事なのは五感のバランスだ。耳にもいい音楽を与えたいものだ。口に入るものや見るものと同じくらい大切なことだ。」

「エネルギーは生命そのもの。」

この一言に生み出す何かは、肉体がなければならないことがわかる。肉体と精神はバランスだ。

ミルフォードグレイブスは、リズムを糧としている。リズムは肉体からなるものだ。精神は、そのバランスを支えるもの。
僕は彼と、そして土取利行さんにだいぶヤラれてしまった。今のすべてかも知れない。表現ではなく、体現してしまっていている。
ミルフォードグレイブス、土取利行と言ったらフリージャズのそのもののような存在。彼らがいま見に置いている先は、サンラ、ファラオサンダース、ジュセッピローガン等の奇人達にも、バンバータ、ラメルジー、リーペリー、フェラクティとも共通の「宇宙の起源」「生命の起源」を問うような活動をしていて、それは「Freshest Kids」でいうところのKRSwンの「人間本来のアフリカから授かった欲求の根点、地面に手を着いて踊ることとはそういうことなんだ。」とブレイクダンスにも捉えられ、身近に感じている。

映画「スクラッチ」では、QバートとMIXMASTERマイクが、自宅の庭で何か空から光が降りてきた、あれは俺のスクラッチが宇宙に届いたとか、火星の音はどうなっているんだろうと同じことなんだろう。

ジャズドラマーである父を持ち、自身もジャズベーシストして活動していたトーマスジェンキンソン。
彼は、その影響からJAZZに触れる環境である事ながらも早期に電子音楽の恩恵に触れ、スクエアプッシャーとして、世界の度肝を抜く事になる。
このイギリスの異端児は、下記の曲では自身のテクノをフリージャズに展開している。時代を超えてもその精神は影響を与え絶えない。強者揃いのWARPという誰もが知るレーベルが発した
Ultra Visitorは今聴いてもまだ鮮明。去年のエレグラは本当に見たかった。。




そんな感じで僕はこんな共通点を見つける度に自分の踊りが高まっていくような感覚になる。高揚感。それは音楽から見つかるものでやはり踊りとは「音の体現」なんだなと。

ミルフォードグレイブスは、ライブ中にセットを飛び出し、踊る。土取さんとのセッションを楽器だけではなく、自らの体をくねらし転がり踊る。これが今の自分の全て。70近い高齢ですよ?


上の動画の土取さんの話は本当に心を打たれた。リズムとは、体現とは。音楽は体なくして成り立たない、目だけで、座って学ぶ聞く教える現代の音楽授業には疑問を感じるというところに僕は大きく動かされたので興味が是非是非あったら見てほしい。

そして彼の輝かしい功績の一つでもある、ピーターブルック劇団のピーターブルック本人のインタビューもがっつり見入ってしまった。


何かこの三人は繋がります。必然的に繋がっていったんだろうと。ピータブルックの作品についてはのちのち語ろうと思う。

最近とあるジャズバーで、いや立ち飲み屋で仲良くなったレコード好き親父の紹介で訪れたジャズバーで出会った若い二人の友達。彼らは本当に話すと力がみなぎっている。
静かな口調も優しい目も、そこからは想像させない熱い気持ちが酒の口に含む度、巻きタバコを煙をくゆらす度に夜更け夜更けと時間が深まる度に伝わってくる。こんなの待ってました。

音の根底にあるものを原点回帰とそれに影響させたものさせるもの、そして自分の歴史と照らして「自分を作っていく」という当たり前の作業を追及していく事とはこういうことなんだろうと。

 フリージャズというと僕はかなり難しい人達を想像していたんだけれども何か見つけた!って思いました。そしてミルフォードも土取さんもリズムに携わる人であったことに一人運命を感じているのです。

70年代の日本の、阿部薫然り、近藤等則、坂本龍一も今は個々に違う道へと旅立っていった訳で。個性とは。



日本のフリージャズ盤で高額レア盤として有名な「Disapointment Hateruma」これ聴いたことなかったんだけどこの前聴かせてもらいました。最近ではDJも所有している人がちらほらいるらしいのですが、どうやってサンプリングするのか非常に気になる。プレイで使っていたならフロアがどんなカオスなのか気になる。
アメリカから沖縄返還前の年のリリース。前年です。とても色々な思いが詰まっている事を感じ取れる。土取さんのリズムが最強。
教授はこの後、「今でもジャズには否定的で、」と語っている。興味深い。

自分の中で解釈しがたい、今でも半端なく難しいフリージャズ、そこに光をもたらせてくれた出来事であり、出会いでした。


最近のリズム不調な生活で踊りも私生活もままならない不摂生な状態は自己嫌悪そのもの。
仕事の関係で食べる時間、寝る時間、体を動かす時間がないのでせめてもの口に入れるものだけは、絶対に考え、少しでも手間をと考えている。



その中で不摂生にも音の栄養、感覚の栄養を摂取しに夜な夜な酒の席で学ぶことも大切。バランスを取るのは難しいけど、絶対に忘れてはいけないし諦めたらいけないことと自分に言い聞かしてます。

現実を見ずに夢を見るな。産地やら放射能やら騒ぐ人が多い中、食品添加物には目を向けないのか、と。
報道にデモ、流行のように無添加を謡い、放射能の危険を煽るな。現実は本当に知ることが不可能な程、根深いのだ、と。


バランスは難しいです。

音と体、そんなこの頃。



最後はそんな彼らから知ったギリヤーク尼崎を。おひねりだけで人生を生き、舞踏に命を賭け、決して真似られることない生き様を僕たちは見て、どう感じどう生きていくのだろう。
御歳87を超え、ヘルニアで潰れた背骨の痛みにもペースメーカーにも負ケズ。



一昨年、身内で盛り上がった阿波踊りもだが、じょんがらもまたアフロビートだと一緒に見ていたシンジ君も息を飲んで見ていたのが印象的でした。

今年、富山に来るかもです。



ハナミズキノヘヤというお店が教室というか、彼ら二人が、学校のクラスメイトのようで同じ学び舎で永遠に続く休み時間の中にいるような感覚を感じる。「放課後は大事。」




 今日の一曲(二曲。笑)は、QuanticのManbo Los Quantic。わくわくするねー。

そしてもうひとつは去年のクリスマスに、とあるサンタのクソ親父がくれた一枚。
ここ一ヶ月くらいはひたすらリピートな一枚のラストを飾るこの音楽は、イタリアの作曲家で巨匠・エンニオ・モリコーネの作品。どんどん迫っていくドラマティックな展開と優しいボッサ調のリズムが高揚感を保てせてくれて心地よい4分30秒をくれる。

映画「ある夕食のテーブル」のこの曲、日本では未公開だそうで。

今晩はあなた何を食べますか?


今日は天気良し。気持ち良し。

火曜日、シャっきっといきますか。

 


そう〆ようとした時にまた新しい刺激が舞ってくる。  

「限りなく物音に近い音楽そう呼んでもいいだろうか?」
(谷川俊太郎 詩人 鈴木昭夫のライナーノーツより)

2013年1月21日月曜日

Something

アメリカ音楽史の歴史を追うと、決定的な意味付けとして歴史的背景による人種と音楽の関係に全て表される。つまりは、アメリカ史そのものであり歴史の存在なくして音楽史は産み出される事はない。

ブラックミュージック。

陸続きのユーラシア各国のどこにでもここまで成し得なかったほど特変的なミクスチャー文化は音楽に限らず「アメリカ」という国の代表的な表現だ。

アジア、ヨーロッパは、個々に特徴的なアイデンティティが音楽や文化に存在し、根強く受け継がれているのに対し、様々な形として完成していった。

アメリカの文化は~というような誤解を招く記事を先述の記事で書いたが、現代音楽のスタートとして、アメリカ音楽はこれまでのヨーロッパ音楽とアフリカ音楽という二つの全く異なった源泉からミックスさせた。このアメリカの歴史的背景には、300年強のアメリカ史の中で特に黒人のアメリカでの環境は、音楽に凝縮されていて非常に重要だと思う。しかしやはり一つ付け加えると源泉があるということ。

人種のるつぼであり文化のるつぼでもあるアメリカは、世界中の音楽文化要素を取り入れ、「融合と移植」という手法で新しい音楽を作っていった。

ダンスというものに携わり、ルーツを探求する中で僅かながらもラテンに深める姿勢を取っている僕が言うのだけども、サルサはやはりニューヨークで生まれたカルチャーである。


これはIn Zaire, Africa 1974 のファニアオールスターズ。ちょうどザイール74の映像があったので。
ドンキングにより興行された正にアメリカ音楽のアフリカ回帰を代表する歴史だと思う。
まだソウルパワー、モハメドアリのザイール戦のドキュメントを見ていない人は、興味があれば見てみて欲しい。
キンシャサの奇跡と言われたこのライブ、僕の中のJBが一番かっこいいと思う場面です。そしてミリアムマケバの魂。そして自身もブラックムスリムの一員として、アフリカンアンデンティティの掲げアメリカの白人社会と公民権運動を闘っていったモハメドアリの最強のエンターテイメントトラッシュトークとも言うべきフリースタイルな一言一言は言葉を奪われるはず。

こうしたドキュメントは、歴史的音楽背景に興味を持つ絶好の材料だと思うし、少なからずドキュメント、映画として、美化している部分もあるがお勧めできる作品達。ファニア押しでいうとエクトルラボーのエルカンタンテも僕の好きな作品の一つ。

 

主演のジェニファーロペスが、自身の制作会社、「Nuyorican Productions」から出したこの映画は、ファニア全盛を飾ったラボーの生涯をピックアップしている。演じるマークアンソニーはサルサシンガーでジェニロペの夫であり、ジェニロペ自身も作品ではラボーの妻を演じ、女優として、制作者として、そしてニューヨリカンとして、この映画でラボーを通じて音楽とアイデンティティーを伝えようとしているのがわかる映画だと僕は感じている。そしてジェニロペの作品中の腰の振りがまた血を感じ、セクシーであり、ダンサーとしても圧巻のシーンにやられてしまうのです。(現在は離婚しましたね。バツいくつやねん。いや人事ではないな。)
にしても数あるアメリカ音楽の中でもニューヨークで生まれたサルサという音楽は中でも特徴を残している気がする。
そして、アメリカ音楽の諸要素のそれぞれ元をたどれば特定の起源に辿り着くという事が実に分かりやすい音楽であるんじゃないかな。

アメリカ音楽の発展から現在まで音楽は常に 融合と移植を繰り返し、形成されてきて、これからもそれは引き続き作り手たちに続けられる。
これは僕の踊りの世界にも言えることでそこには多くの問題を抱えていると思う。
情報のない時代、そこには独自の発展と熱があるが、それは正確性に欠け、06年のYoutubeの登場と共にダンスの価値統一化がマジョリティで行われて世界を占めていく。ネットの普及と共にそれはスピードを増し、しかし裏ではしっかりもう一つの道を模索している人達もいる。それは決してマイノリティというくだらない村八分的な括りではなく、純粋な追及に精魂共に何かを得ようと、または快楽の追求を求めている人達を指している。

 この映像は、00年、Detoursのエンディングの僕的にある意味きっかけとなったターニングポイント。Original Stand AloneのElswhereとそのメンバー、またその親交深いアメリカのアンダーグラウンドのダンサー達によってリリースされた当時VHS。
何気なくアメリカから持ち帰ったこのビデオは、日本でも一部の人の心を掴んでいた事は間違いなくて最近同年代の削りながら踊っていたBBOYの友達の間で再燃(昔話のネタ化)している。

何故かバスケのゴールの上に座りながらBBOYルーツを語るレッグスの内容は、HIPHOPがアメリカのミックスカルチャーの象徴であることを表している。
動物の動き、ヨガ、少林寺、カンフー、ジャズ、サミーデイビスJrのタップ、ミンストレルショーの様な黒さも漂う映像やエンディングの映像を全て個々に映像として持っているマニアックなコアな知り合いも居るが、
そんな人たちとのダンス観はやはり当時は話が盛り上がった。

またここでピックアップされている4人、MIDAS、RAWBZILLA、ELSEWHERE、KUJOは頭から一発で見るとお腹一杯。Othersのメンバーも良いFootageてんこ盛り。(このVHSも誰か返してくれ)
そしてMIDASは、個々最近恰好の酒のネタで、60inchでAppleTVでこれで飲む去年の忘年会でもありました。笑(P氏)

 融合と移植、その中で確実に独特で独立したセンスを出しているこの四人はリスペクトです。




アメリカを代表するニューヨークという存在から生まれたサルサに注目を置いたが、やはりスピリチュアルや黒人霊歌を通り、南部で生まれたブルース、そしてロックとジャズが世界に与えた影響は偉大過ぎる。 南部での誕生と、ニューヨークでの誕生からもアメリカの歴史を伺う事が出来る。

チェスを題材にしたこのキャデラックレコードは、ブルースの誕生とロックの誕生、白人のポップによる搾取とアメリカでの衰退、ストーンズやビートルズ、フリードウッドマックなどを金髪のなよなよ兄ちゃんみたいに例え、ブルースを愛した白人達によるブルーアイドソウルやロカビリーの軌跡も見せラストにはヒップホップのサンプリングとしても使われていることにも触れ、Q-Tipの登場もあり、見応え充分。そしてアメリカでの衰退からイギリスで再燃したチェスの音楽達は、そこで進化を遂げていく流れもまた微笑ましい。同時期に公開されたパイレーツロックもあり、イギリスでのロックの必要性も感じ取ることができるのが僕には嬉しかったです。そしてエタ扮するビヨンセがたまらなく可愛い。
モータウンとダイアナロスとシュプリームスを描いたDream Girlsよりこっちがダントツで好きだな。


死ぬほど痛快で面白いです。坂本龍一教授のスコラで、ピーターバラカンも少し触れていたけど、
当時のイギリスは、本当に海賊ラヂオ船があったというのだから紳士の国イギリスの音楽のメッセージは、凄い。ブルースを糧としたロックはイギリスに渡り、日本も当然ながらアメリカ、世界に向けて届いたのだから。


人が踊りを創めたのは、雨を降らすため魂を沈めるための「祈り」であり、もっと遡ると人間に肉体が与えられたことによって音を感じる事を与えられ、脳という機能で音を解釈し、自分の心を映し出す。そして踊ることを与えられる。

古代ギリシャで生まれたリズムという概念。

自然が作り出す音からインスピレーションを受けた事から人が誕生した楽器。

クラシックの形成による音を楽しむ形となった、交響。

様々な国で続けられている民族音楽。
そこにはその土地の文化が反映され、また公共音楽として社会的な一面とそれぞれのアイデンティティも存在して成り立っている。

僕もそんな音楽や踊りの歴史の中、葛藤の中、今の着地点は「日本人」ということに落ち着いてる。
そして、その中で当時の知らなかったことも学びながらさらに新しいことを学んで、自分の中で新しいダンスを生むきっかけとする中で、当時は知識の限界なんだなと振り返ったり。
今は何かをまた先端に戻しつつ。


上のFelaの動画は、ジンジャーベイカーがアフリカを縦断した際、ナイジェリアでフェラに出会った時の映像。インアフリカというタイトルでDVDにもなっていてTSUTAYAでも発見出来ます。
ジンジャーベイカー自身、アフリカサウンドとのきっかけは、「アフリカ音楽集」などのクレジットのない資料的レコードから60年代初頭に入ったらしいのだが、ドラムという立場からアフリカのリズムに惹かれて行き、吸いこまれていったのは必然だったんだろうなと。

フェラ自身もロンドンで留学中にトランペットジャズを学び、この時にジンジャーも彼と出会い、
インアフリカでナイジェリアにて再会した際に「恋に落ちた」とインタビューで言っていた。

このDVDも更に本当に見応えあって、ジンジャーベイカーの音楽に対する追求と好奇心、今でもそれが劣らない正に「殺気」を感じる。そして、その中でもこのフェラのシーンが、印象的で。
彼らの音に対するアプローチと踊りが、「本物」です。

先日のセッション前に日本酒を飲みながら相方であり先輩の002VRT氏と見ていたのだけれども、
「踊りってアフリカだね。」で話がまとまってしまった。

その後のセッションは、二人で40分と長丁場だったけど、乗り切れた感は、これを見ていて良かったなと思うところがある。

その模様。






ライブペイントのNOAさんは、以前GravytyFreeの時に拝見。Decoも雰囲気良く、声をかけてくれたOnpun/Berry StoneのZaion君に感謝です。DrumのOka君もタイトなグルーブで心地よくまた真っ直ぐに踊れました。






今日もそこそこいい天気。
春の気配が少しずつ。

富山に来てもうすぐ五年。
この五年間一度もアメリカに行かなかった事を最近良く考える。

最後は光を浴びてる感じを受けるAUSのビートメイカー、Dorian Conseptと一昨年ライブで拝見した畠山美由紀さんを今日の一曲に。

2013年1月19日土曜日

Here Come The Sun

日本とイギリスが育んだ音楽の共通点。

音楽だけでなく、文学も映画にも言えることかもしれないが、日照時間の関係や太陽を感じることのできない「冬」という存在から生まれた繊細な部分、暗い部分が感じることができる共通点がある。

それは年々に年を重ねていく(生きていく)ことにおいての積み重ねた人格というべきなのか、意思というべきなのか。音楽の作り手たちにはとてもそういったものからの影響を感じる楽曲や特徴は見離せないし、聞き手としても何かの場面に音楽を重ねる、またはあの時聴いたときの曲を今現在の場面に重ねる場合にとても大切にする照らし合わせだと思う。



ビートルズを年々重ねて聴くと、ジョージの存在が本当に素晴らしいと僕は思う。ポール、ジョンという天才に挟まれながらも自らの存在について考え、メディアに惑わされ、苦悩し天才の目を開いたというところにあると思う。
上の「Here Come The Sun」は、アップルでのミーティング、長い冬に億劫さを溜めたジョージが気分転換にクラプトンの家に遊びに出掛けた際に、その年初めてのハルらしい天気を歌ったもの。
 自然生まれたメロディラインと太陽の喜びを覚えるジョージの繊細が伺える。

イギリスの暗さは、とても嫌いだった。でもここ最近気づいたのはその中の葛藤や爆発から生まれた色々な音楽が存在する。ピストルズのようなパンクも多くのニューウェーブも、ダブも進化させ、生み出したそんな葛藤の爆発的な音楽芸術が多くある。


それと同時期に日本ではMUTE BEATが生演奏にダブを取り入れた。遠くジャマイカから飛び立ったレゲエの胞子が、1980年代のイギリスや日本でダブを育んだり。

ジョージに話を戻すと、ビートルズの後期は類まれなる才能をさらに引き出すため、惹かれるかの如く、ジョージがインドにシタールを学びに行くように世界の様々な民族音楽や楽器に傾倒していく。

それは妥協を求めない音楽追求者としては、当たり前の行動かもしれないが、斬新であり既存の自分を壊す勇気あるリビルド。

ラメルジーの言った「偶像と破壊主義」まさにそのものだ。

僕は「ダンス」というものに10代半ばで興味を持ち、「HIPHOP」という音楽に没頭していた。右も左も分からないが、メディアでしばしば取り扱われていたHIPHOPやブレイクダンスは僕の頭の中で少しずつ胞子が増殖していた。初めて手にしたわけも分からず買ったCD、レコードやビデオを通して少しずつ音楽やファッションに歩み寄る中、いつの間にか文化そのものにドップリ漬かっていた。

元から歴史好きが相成って、しばらく年を重ねた時に、「自分のやっているダンス一体どこからきたのか?」という自分のルーツ探しが始まる。


上で述べたラメルジーは、HIPHOP創世記のレジェンド、「ゴシックフューチャリズム」を提唱し、
既存のグラフィティー概念を逸脱した最重要人物。文字のスタイルを数学的に表現し、HIPHOPお持つ本質を総合的哲学を持ち、自ら具体化している事から僕のHIPHOPに関するイメージがぶっ壊された瞬間だった。当時17歳。

服が、お洒落なサブカルチャーを求めて当時年間購読していた「Relax」が起点で、都築響一さんの「アートランダム」に夢中になり、違う側面で見たHIPHOPに大きく影響されたのを覚えている。

でも僕は若かったので具体的には彼の提唱していたものがあまりにも難解すぎて、「ダンス」というものの魅力には至らず、日の目を見るのはまた何年か後になる。

「BBOYING」というHIPHOPの4台要素といわれるジャンルには相当のコンプレックスがあった。
巷でHIPHOPと呼ばれているものとは、音楽でもファッションでも考え、全てにギャップがありすぎるのが日本の現状であるし、OOOスクールと位置づけられた住み分けがまた僕には違和感に感じたし、反面分かりやすかった。

がむしゃらに踊りたい欲求に身を任せながら「なんで自分はこんなに夢中に踊っているのだろう」という位置づけに結果僕はBOYINGを突き詰めるわけで、その歴史、人物、様々な場所や人、体験で経験していく。

結論的に言うと、憧れまくっていた、僕の世界の 中心であった「アメリカ」は、日本とは違っていた。

HIPHOPはアメリカが生んだアメリカらしい唯一のカルチャーだと思う。

そのルーツには、もちろんブルース、ジャズ、そしてラテンの影響は切っても離せないが、もはやこれらはアメリカの文化ではない。アフリカンであり、スパニッシュであり、南米とラテンの文化であ。
ニューヨリカンというアイデンティティも存在するが、やはり僕の中では違う。


90年代後半から00年初期にHIPHOP、BBOYINGの世界では、「原点回帰」という言葉がターニングポイントだった。僕はそこにドはまりした。
世界に広まったHIPHOPは一人歩きしていた、けど何人かの人達がここにほんでも気づいていた。
発祥のニューヨークシティーで事実を学ばなきゃいけない、知ることが必要と気づいたのは西と東に分かれたアメリカもそうだった。
各々の場所で「進化 」を進めていたことが、ゼロからのスタートになる。とても困惑した時代だった。

僕はある程度を機に「日本人として」というアイデンティティに重きを置き、HIPHOPのルーツでもある、ラテンに傾倒していく。
上の映像は「MAMBO TO HIPHOP」これHIPHOPの歴史を学ぶ上では歴史的映像だと思う。
(誰かDVD返してくれ!)

ここではロックステディーのFABELが自身がニューヨリカンという事もあり、HIPHO`研究家として、
アメリカ史に大いなる貢献していると僕は感じる。「アメリカに歴史はないから」

ここまでいうとちょっと偏りすぎですね。誤解を招きそうだけど。ブルーアイドソウルやブルースロックとして白人たちが、70年代に活動していた何年間はとても素晴らしいことを最近は南ロックを学ぶにつれて感じてます。
でも本当ここの好きな人から学んでいる状態で。

踊りに話に戻すと、やはりアメリカに勝てない日本がいた。HIPHOPが文化のアメリカ、このコンプレックスと闘いながらもう一度の原点回帰はやはり自分が「日本人」であることだった。





2006年にNASが「HIPHOP IS DEAD」のリリース、アメリカのHIPHOPは完全に死んだと。
でも世界で胞子をまいたHIPHOPは各々進化をし、成長を遂げてる。

ちょっと時間がなかったな。

最後はJAGTARAがでもデモDEMOで歌った一言で。

「日本人て暗いね」

これが全て。