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2013年2月18日月曜日

Channel One Two...Three.


「出会うもの全てを受け入れたいわ。」


 「音」を「たどる」という表し方は以前ここで述べた鈴木昭夫氏 から教えてもらったイメージ。
土取利行さんとミルフォードグレイブスの衝撃から、その追求への足がかりは富士の雪解けが沸く川沿いの光景のように山から裾野に広がってく。

ふと素敵な表現に出会った。

形のない音を感覚的に触れるものとして捉えるこの言葉は、僕の踊りの中の「大地に手を触れる」という行為が「踊る」でも肉体で表現をするでもはなく、「音を触る」ということにまで昇華させる気分。


「すべてのものにはリズムがある。自分の中の第3の耳へとアクセスするパスワード。 」

ヒトは耳という器官がなければ音が聴けない。聴こえないことによる生活の障害もまた多く感じることになる。

日々どれだけの音が自分の耳から入ってきているのか、その音のどれだけを意識しているのか
気づける瞬間は中々めぐり合わない。
「当たり前」の環境では、情報という言葉に書き換えられ、忌み嫌われ、音を濁しているかにも思える。
ハズラト・イナーヤト ハーンが提示する「音の神秘」には、根本となるリズムは宇宙から人間の体内/心の始まりだとも述べている。


ここでは「良い音」、「悪い音」の存在を明らかにしようとしている事では決してない。
感覚として、音を捉える中で、それは数字には表すことはやはり出来ないし、音に対する感想表現もまた違う。
同じ景色も実は個々に違った色に見えているのかも知れない中(認識としては社会に提示されて位置づけられているのでほぼ高確率的なすり合わせが可能だが。)、音の先に見える景色に関しては尚更だと思う。

踊りに例えるとそこから更に肉体というフィルターを通す。そこに精神状態も加わるのだからもっと複雑化していることに同じ見え方などもう不可能なんだと思う。そこで共感するものを感じるのならばそれは強い引き合わせ、運命なんだろう。
「フリージャズは、演奏が終わった後に「ああこのメンバーと演れて本当に良かった」って思えることなんだ。」という誰かの言葉を引用するのであれば、それはフリージャズだ。

どのレベルでの共感かもまた細部になるとキリがないのだけれども。
「共感」もまた音なんだろう。聴くことが出来目で見ることもできる、触ることも出来る「音」。
 

シンプルに行き着くにはやはり遠いところまで位置づけがあるんだろうと思う。欲求と片付けるならばもはや人間の研究、表現ではあらわせない生命の神秘だから。そこに収まり全部自分の中で繋がる。シンプル。




と、曇ったこの土地で空を眺めていると重い音が聞こえてくる。
先週末は吹雪の中、こっちでの公開初日、ドキュメンタリー映画「BONES BRIGADE」をお目当てに金沢に出掛けた。

話は変わって、僕のサブカルチャーを 支えたのは、ここでも何度も登場している マガジンハウス「Relax」という一冊の雑誌。
ふとしたきっかけで本屋で手にしてた16歳の時から、トレンドやのサブカルを面白可笑しく教えてくれるかのような月刊誌を年間購読をし、コレクトしていた。昔からモノ集め、捨てられない主義の自分にとって特にかさばる雑誌という媒体は、スクラップを施す事が多いのだけれどもRelaxに関してはハサミを入れる事はなかった。
それこそトレンド、音楽、ファッションだけでなく、FUTURAやラメルジーを代表するグラフィティー等のHIPHOPカルチャーや、その後のバンクシー、SPACE INVAVER、過去に書いたテクノカットの生みの親、本多三紀夫氏もここが源泉。 付録のインベーダーマップで東京に買い物に行く時は、良くマップ頼りに作品を見に行ったりなんかもした。
(探してみたところ現在WEBで公開していた。当時はRelaxの付録で付いていて、好奇心をくすぐられる付録は他にもソノシートやCDなんかも付いていた。http://space-invaders.com/maptk.html)




そして伝説のヨコノリククルーZEPHYR、Z-BOYSを知ったのは、いつかの号でありその存在とドキュメンタリーDOG TOWNの公開間近の記事をまだ覚えている。当時の自分には馴染めなかった金髪ロン毛のニイチャン達だった。
Z-BOYSのメンバーステイシーぺラルタ自身の監督作品、当時は作品は見なかったがその後DVD化になり友人からの誕生日プレゼントをきっかけに見てからすっかり惹かれた。


今回のボーンズブリゲードは、ぺラルタが現役を退き、自身のブランドを設立。自らの経験を生かし、もう一度最高のスケートチームを作る為に立ち上がる。そして全米から集められたメンバーで結成されたチームの名前をタイトルに70年代スケートシーンから今までに与えた影響と彼らの歴史を追ったドキュメンタリー。

感想は、感動の一言。ペラルタのスケボーへの愛をしっかりと見たメンバーのスカウトから結成まで、各メンバーの個性溢れるキャラと魅力が存分に伝わる内容で、「仲間とは」、「ライバルとは」、「スケボーとは」、をしっかり写していてエンドロールの時は涙。
ぺラルタとメンバーの信頼感、メンバー同士の絆も本当に共感してしまう。そして現在でもまだ新たな挑戦を続け、決して忘れない好奇心に胸を打たれた次第でありました。


キャバレロの年の取り方が最高にかっこよく、47歳の今でも現役というところもたまらない。
ミューレンとトニーホークの絆、ランスマウンテンとマックギルのコンプレックスと向き合いながらもそれぞれ刺激とプレッシャーをシェアしながら成長していく様。その純粋な一生懸命さと好きな気持ちの裏に抱える負の部分は、多くの人に感動を与えるはず。
そしてペラルタのメンバーを大切想う気持ちと、ビジネスという枠の中で最大限に遊びとするセンス溢れるマーケティングとそこに集う仲間達。そのカルチャーは世界を巻き込むもまだ知らない素晴らしい歴史は、是非一見の価値あり。なんにでも通ずるものを得られるはず。
そして劇中の音楽も良い。ゲレロ本人の作品も使用されていたり、80s感もあったり。


そんな中で最大限努力をしたが、共同経営もうまくいかず伝説のチームは、解散することになる。
それに悲観するペラルタに、再開であり「再会」を求める多くの世界のファンとボーンズブリゲードのメンバー達による20年後のこの機会は、オープニングからエンドまで余すことなく楽しめる作品、でした。もちろんこの映画も監督は、ペラルタ自身。

パウエルペラルタの解体、ボーンズブリゲード解散の間近に、子であり仲間でありパートナーである
メンバー達に独立への道とノウハウを教え、共同契約サポートを組むところもシーンへの想いとフックアップを 感じられる。

更に最後のエンディングで現在のメンバー達について語られるのだが、みんな立派に巣立っていき、独立を経て個々のスケートと寄り添った人生を家族を持ちながら生活していることが語られる。
そしてペラルタの際に息子でありミュージシャンであるオースティンペラルタについても語られるのであるが、惜しくも彼は去年この世を去った。

この映画が撮影当初は生前。ピアニストとして、また数々のセッションプレイヤーとして、15歳のデビューから華々しい音楽を残し、ジャズの垣根を越え、BrainFeederの一員としてエリカバドゥやフライロー、サンダーキャットと残した。



もちろんこの映画ではペラルタの父親としてその悲しみに触れる事はない。

そして子供同然のように同じく長い時間を過ごした、トニーホーク、ロドニーミューレン、スティーブキャバレロ、トミーゲレロ、ランスマウンテン、マイクマックギルの六人の主要メンバーのペラルタに対する父親同然の想いも重ねてぐっときてしまった。

多分こういったストリートカルチャーは、70年代初期に数多く生まれた。しかしこれは今の時代では到底生まれることの出来ない当時でしかなりえなかったカルチャーであり、それはHIPHOP、BBOYをとってもそうだと思う。(他にはこんな成熟は見られないが。)
 このシーンの成熟は今からでは見られない。


ペラルタに最高のリスペクトを。



ただスケボーがしたくて、好きで、ペラルタを喜ばせたくて集った仲間の話。

「決してチームやクルーやスケートなんて単語を使いたくなかった!そこでクレッグが口にした言葉は、ガイコツ旅団(BONES BRIGADE)だったんだ。」



そして話はオースティンペラルタの音をたよりに最初に戻る。
聴覚障害を持ち、体全体で音を感じる彼女の音は、音の透明感と体で音を感じることについてさらに深めてくれる。
グラミー賞2度受賞という偉業を成し遂げたパーカッショニストのエヴリン・グレニーの見つめる音の世界は、どんな世界なんだろう。本人にしかわからない、健常者には想像を絶する状況の中でも
実際にはもっと単純な欲求だけなんじゃないだろうか。


「Touch The Sound」。
音から歩み寄ってくれている、とても大きい言葉。






と調子良い事書いているが、週末の凍結と泥酔とはしゃぎによる
ノーハンド顔面キャッチの強打がまだ痛い。

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