1959年、夏。ゲバラはヒロシマにいた。
日本から最果ての共産国を、
当時の日本側の対応もメディアの取り上げも
意欲的なものではなかった。
東京、名古屋、大阪と訪問し、急遽広島へ。公式訪問では
県庁職員は迎え入れ、
広島平和記念公園内の原爆死
原爆資料館と原爆病院を訪れた。
キューバでは義務教育に8/6.8/9のヒロシマ、ナガサキの教育がある。
キューバの人はヒロシマとナガサキを知っている。
「なぜ日本人はアメリカに対して原爆投下の責任を問わないのか」
ゲバラの言葉だ。
1959年、夏。日本とキューバは通商協定を結んだ。
主に砂糖だが、葉巻やキューバラムが今の日本にあるのは
この暑い夏にモヒートやクバリブレを飲む時に少し思い出
ヒロシマのコト、ナガサキのコト。
http://d-arch.ide.go.jp/
皮肉にもキューバの独立と勝利を目指した米西戦争
の際に出来たクバリブレ、
その後のアメリカとキューバ―の歴史を見るとわかるように
米による経済制裁では、
キューバ産のラムとコカコーラでは作られない。
ぶれない男、
ゲバラ。
サンテリアの平和の祈りは世界に届けばいい。
今回は、以前月刊プレイボーイで特集されていた
生誕80年の際のゲバラの記事を参考にした。
日本にはほとんどしりょうがないのだが、
この時に同行した日本人カメラマンの
資料を記事にしたPBで僕は知ったし、
日本においてキューバやゲバラとの関係についても
学べる素晴らしい記事だと思っている。
雑誌といえども素晴らしい内容の読み物
休刊はとても寂しいと思う今日この頃。
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