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2013年8月6日火曜日

HIROSHIMA












1959年、夏。ゲバラはヒロシマにいた。

日本から最果ての共産国を、

当時の日本側の対応もメディアの取り上げも
意欲的なものではなかった。

東京、名古屋、大阪と訪問し、急遽広島へ。公式訪問ではない。




県庁職員は迎え入れ、

広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑に献花し、
原爆資料館と原爆病院を訪れた。

キューバでは義務教育に8/6.8/9のヒロシマ、ナガサキの教育がある。
キューバの人はヒロシマとナガサキを知っている。








「なぜ日本人はアメリカに対して原爆投下の責任を問わないのか」
ゲバラの言葉だ。








1959年、夏。日本とキューバは通商協定を結んだ。
主に砂糖だが、葉巻やキューバラムが今の日本にあるのは今もなおこの時ゲバラが締結した通商協定が現在も継続中


この暑い夏にモヒートやクバリブレを飲む時に少し思い出す、キューバのコト、サルサを愛しソカを踊ったゲバラのコト。





ヒロシマのコト、ナガサキのコト。




http://d-arch.ide.go.jp/idedp/ZLA/ZLA201206_007.pdf





皮肉にもキューバの独立と勝利を目指した米西戦争
の際に出来たクバリブレ、

その後のアメリカとキューバ―の歴史を見るとわかるように
米による経済制裁では、
 キューバ産のラムとコカコーラでは作られない。





ぶれない男、
ゲバラ。

サンテリアの平和の祈りは世界に届けばいい。





















今回は、以前月刊プレイボーイで特集されていた
生誕80年の際のゲバラの記事を参考にした。

日本にはほとんどしりょうがないのだが、
この時に同行した日本人カメラマンの
資料を記事にしたPBで僕は知ったし、
日本においてキューバやゲバラとの関係についても
学べる素晴らしい記事だと思っている。

雑誌といえども素晴らしい内容の読み物
休刊はとても寂しいと思う今日この頃。

















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