ss

ss

withoutrecord

withoutrecord

rain

rain

kller

kller

cbr

cbr

rts

rts

2013年2月8日金曜日

Fun....


Fat jon/Funkin
カッチカチに凍結しております。富山。寒すぎ。昨夜からの吹雪で思考も凍結、なんて思ったら何なんだこのつかの間の日差しは、、、、、!?

サムチャンブームはもう10年前かな?Force Of Nature、Hyde Out勢、音もアニメも楽しめた懐かしい作品です。この頃あたりはよくアニメ見てましたね。サントラもまたいいんだな。


Riow Arai Funktions

ってようつべにあがっておりません。同アルバムからこちらを。パッキパキでございます。テクノブレイクスとでもいおうか、好きです。かっこいい。
彼もアニメへの楽曲提供等あります。RIOWARAIとやけのはらのインタビューが前にWえbのどこかに落ちてたんだけど、やはりここら辺の人は、YMOに大きく影響というか、「なりたい」という気持ちからスタートしたんですね。
槙原紀之、テイトウワ、まりんちゃんや電気グルーブなどなど。YMOの影響力は偉大。ドイツではセニョココも一枚YMOトリビュートで出してたな。
ちなみにここ最近のデジタル、エレクトロ、テクノ界隈は、盟友PANKEE氏の影響が大変大きいのであります。お世話様です師匠。


おまけ。カルトQ。優勝はマリンちゃん!僕は一つくらいしかわかりませんでした。皆さん鬼ですね。

最近のちんたらした馬鹿タレント珍回答ばかりのクイズ番組よりこのくらいプロフェッショナルの方が面白い。じゃないと面白くないです。全員の機材をあてに行くところなんかもう圧巻。オタクは凄い。


ちなみにYMOに影響を受けた上のメンバーも若かりしインディーズ期に良く聴いていたであろうこちら。あろうではなく、自主作品を投稿していたメンバーですね。そして、サウンドストリートの投稿作品の中でも当時最もリスペクトされていた岡本清郎を。



続いては、こちら。言いたくないけどジャイルスプッシュで僕は拝見させていただきました。
踊れる踊れる。一度ショーケースで使ってますが、今はまた違った表現ができそうなのでもう一度挑戦したい一曲。デジタルハウス、テクノハウス、四つ打ちテクノ、エレクトロなんたら、ブツブツ。今日は比較的ラフにお送りします。にしても今日のシャッフルは調子がいいぞ。


Stimming/FunkWorm

ここらへんからもう吹雪も凍結もぶっ飛ばせそうな勢いで、コチラ。レアグルーブだ。

 The Dynamic Concepts / Funky Chicken



ディープファンクです。御大ケブダージ様と重鎮黒田大介さんのご紹介で拝見。
レア盤ってヤツです。高額、絶対に買えない。掘る事すら無理だ。当時も今も鼻垂れ若造の僕、ここはCDでゲット。黒汁飛び散る、BBOYが大好物そうなブレイクスというわけで。次いってみよー。


さて、ここから僕の表の顔、和モノが飛び込んできたゾ。

FunkyダッコNO.1 / ハルヲフォン

1970年代、片やフリージャズの闘士たちが闘っている中、フォークとか闘う目的も相手も向かう先をなくしてしまった学生達への応援歌とか、ある中、FunkyRockも日本にちゃんと根付いていました。
サイケからの流れなんですかね、ズーニーブーとか思い出すし。良い音出しますね。そして黒くない。FUNKは黒さだけではないはず。

仕掛け人は近田春夫、1975年、ニューウェイブの波はイギリスから遠く日本にまで歪曲しながら辿り着いて来たわけです。こちらFunkyダッコは1stのよう。当時大流行したキャラクター「ダッコちゃん」からのインスピレーションなのか。調べてみたら、タカラトミーの公式タイアップソングでした。近田春夫はやはり商売人ですね!当時の映像もまた良い感じです。


内田裕也的なロックンロールファンキーサウンドを追求していた~とか、言ってるこのバンド、様々な音楽が日本に大量に輸入され始めた事を感じるミックス感も拾える、そこが全然嫌じゃない。

飲み屋の先輩等に聴くと、「当時は米軍ラジオよく盗聴して聴いてたんだよー。」と本当に音楽に対する貪欲さと好奇心を感じますね。そんなドバッと、大量の文化が日本に入ってきたんだろうなというのが当時の日本から感じます。
開かれた環境、広告で提示されたものを消費することが常となった今、もうその気持ちを取り戻すには少し時間がかかりそうです。あえて無理とは言わずに。



内田裕也?
そうか、ついでにこれも紹介していこう。


内田裕也による内田裕也の内田裕也の為の映画。ビートたけしにアンルイス、横山やすしに阿藤 海と豪華キャストに、ぶっとんだストーリー。崔洋一の初監督作品であり、キョンキョンのデビュー作。そして昨年なくなられた安岡力也も出演。かっこいいです。

また音楽担当は、大野克夫、期待できそうでしょ?
エンディングテーマの白竜でちゃんとバランスとっております。

少し、脱線してしまったけど、雪をも溶かすシャッフルはまだまだ続きます。


決して駄洒落のつもりなんてつもりは。。。
続きましては、Snowboy。


 Snow Boy Funky DJembe

ジャジーファンクソウルなトラック大得意のスノーボウイ来ちゃいました。雪、このタイミングでまた降ってくる。。。聴きやすい良質90年代サウンド。チャラいです。アラフォーフリーソウルフリークな皆様にはきっと大好物。僕の知人の、DJチャラフォーaka IKDという方もピクピク反応する感じなのは確認済み。

The Outraw Gang/Funky Fast Bump



こちらもケブ様、黒田さんのご紹介系、レアグルーブ7インチ、寒さぶっ飛ばしで、軽快なジャズファンクソウル。価格は未定です!B面は、いったい何なんだろうか。高額盤はお金を払って、クラブのフロアで聴かせてもらいましょう!

続いてこちら、
Jay Mitchell Funky Fever


もう僕ら世代では、MUROさんのKING OF DIGGINその二で完全に刷り込まれたんじゃないですかね。タイトル通り、ドラムブレイクはFunky Feverにかかってしまいそうな極上さ!


ん?何かおかしいと、もうお気づきかの方もいるかもですが、、、
ラストはこれでした。


山下達郎/Funky Flushin'

最高です。日本音楽界の宝。もうこんな寒いのになんてテンション上がる選曲をするんだろうと、
ポケットからプレイヤー出し、振り返って見ると、
シャッフルになっていなく、曲のタイトル順に再生していただけだったオチでした。おかげでだいぶ暖まりました。
タイトル順で再生の時にF行に差し掛かった際は、皆さんステップ踏んで凍結路面で転倒は気を付けましょう。


今日の一曲、


COMMON/FUNKY FOR YOU
ラストは、JILL SCOTT、BILALもフィーチャリングしてたこれを。
名曲ですね。DILLAの手掛けた至高の遺作です。REST IN PEACE JAMES YANCY。
ボウリング大好きなコモン4枚目のアルバムから。

このタイトルの通り、あなたに今日も「FUNK」あれ。



なんつっ亭

2013年2月7日木曜日

今日のシャッフル、



Forss - Characteristic(2003)

ベルリン拠点トラックメイカーでその香り満載のビート。SoulHackというアルバムのタイトル曲ではないもの。ジャズ、ヒップホップサンプリングで、ヒップホップサイドやまたまたジャイルスから火がついた感じのもの。

質の良いメロウなトラックでしっかり楽しめる曇りがちな雰囲気にまた合って浸ってしまう、そんな外の天気ともお似合いで。レーベルは、JAZZANOVAのSONNA KOLLEKTIV、エンジニアにはRich Mediaの名前。


Nina Shimone/Look of Love


ジャズとの中に、ブルースとアフリカンのリズムを感じる作品の数々の中、今日はこれだったようで。様々な要素、場面でニーナの歌は重なる。「My Babys Cares For Me」。そして、もう一曲、


Minnie Riperton/Never Exited Before(1979)


チャールズステップニーついては、この後色々書こうと思う。ミニーは、ロータリーコネクションを経て、自身の病気を経て、それでも強く生き、それまでのアメリカ人女性像と改めてブラックアイデンティティに愛をもたらした人だと思う。音楽を世界に届けて。
雨粒みたいなミニーのヴォーカル。

週末は春を感じる場所に花束を持って生きたいと思う。この曲を聴きながら。 桜のつぼみを見てこよう。






惜しくもニーナとミニーは二人とも、同じ病に倒れた。
乳癌は、二人の偉大な歌手を天使の声にした。


音楽はその場面の記憶装置だなんて言う。また、あの過去の行動に音楽が当てはまったり、後の行動が、音楽に位置づけられたりする。

そういったことを考えるとシャッフルって面白い。

でも一枚の作品として素晴らしいものがある中で、
通して、聴く事はミュージシャンに送る尊重なんだと思う。これも大切なんだと。






ラストは、トキモンとSUZI ANALOGUE、Scionとのコラボ、こちらはフリーEPなのは有難い。
メロウでセンチメンタルなビート系と、SUZIのヴォーカルは日本人好みな、はず。
MP3だけど。SCIONはDapKing & Sharon Jonesの時もフリーロードとか、面白い企画やっていますね。リミックス陣も豪華なキャストでいい音たくさん詰まってたな。日本も企業もこういったもっと面白い事をピックアップしてくれたらいいですね。

Analogue Monsta - Collection Plate



Kuti 

カラクタ共和国。
ナイジェリアの英雄、フェラクティはフェンスを張り、囲い、そこに27人の妻を置いて暮らしていた。

留学期のロンドンでジャズに大きく影響を受け、ツアー期のアメリカでブラックアイデンティティに目覚めた彼が作った国だ。

外を知り、自我に目覚めた彼は音楽を武装し、新たな音楽を形成する。「アフロビート」。盟友トニーアレンと共にこう名づける。

精神が開放されたブラックパワーみなぎる彼のサウンドは、自分の中では正に起爆剤。



フェラの文献は前述で紹介したカルロスムーアの著作や、Webでも多く記事が上がっていて、
僕がここで述べるのには恐れ多いものばかり。

前にジンジャーベイカーのアフリカ横断についてここで書いたのだけれども、初めてのフェラの映像がそれが初だった事であると同時にアフリカサウンドに触れるきっかけだった。ジンジャーベイカーのストイックな好奇心にも驚かされたが、フェラ達のダンスが本当に圧巻。
踊りの根源を超えて、人類の根源がアフリカだったことを完全に感じられる。一番ナチュラルなんだろう。
現在、フェラの生涯は書籍だけでく、ブロードウェイのミュージカルとしても取り扱われ、今の時代にも影響を与えてる。また現在ドキュメント映画「Music is The Weapon」。こちらも貴重な資料として残る映画に。

肉体と音、タイトルも強烈だ。でもそういうことなんだろう。土取りさんも言ってた肉体と音。

昨日ずっとジャコとフェラの「Lady」を繰り返し聴いていて感じたのは「音楽はクスリ」でした。

とても印象的なのは、首都ラゴスのどこかにあるくらぶなのか、もしくはカラクタの中なのか、
小屋のような場所でフェラ達が踊っているシーンがある。フロアが泥のようなコンクう立派のようなそんな場所なんだけれども天井にはミラーボールがしっかりと存在しているんですよね。

それが凄い何かを象徴しているというか、やはり大切なものであり祀っているかのように感じて。


「Coffin or Head of state」(1980)





身を汚すことの快美。

男媚願望。

その最高の段階は、ファシスの少年、というと
ころかな。この世の一切の栄光と快楽を与えられ
ている訳だから。この危険この上ない。

B-3のcodaの弦楽済奏はその暗示。

例えば、免許とるとか、酒の飲み方覚えるとかっ
て全部そうなのです。だから、これは社会学であ
る訳。無希望の社会学。

日本はヘンな国だ。日本の文化はオカシイ純粋
培養。

いつもこのは世の悪を意識してなくてはだめだと思
う、生き方として。だから、私は瞑想したいのだ
けれど、しない訳です。悪を思考できなくなるの
が嫌なのです。

私はアンチ・ロマンでもないし、反心理主義でも
ないし、機能主義者でもない。だって目的は無い
のだから。

誰かのためになるなんて思って音楽作ってる訳
ではない(現在どんどんつくられている音楽のほ
とんどがそうなのだけれど。)ただ、自分のため、
なのですね。社会的な自分のため。社会に登録さ
れるというだけのため。小権力が分配される訳で
しょう。なにもしなければただ雇用されてるだけだ
から。要するに、使用人が小さな店もたせてい
ただいたのね、だんな様に。そうすると、こんど
は自分が使用人を3人雇って店を維持していく
訳です。みんながやっていることと同じ。それだ
け。

このままいって、音楽の世界にsynthesizerが
もっと普及して、音楽の作り方が私なんかが
今やっているようなデジタル的な方法に変化して
いくと、耳が変ってしまう。決していい方にでは
なくて。そうなると伝統的な感性の文化的拘束力
が勝つか、テクノロジーが勝つかの戦いになる。

どうやら「瞑想」っていうのは、今まで緒々の文
化メディアが荷ってきた、意識の自己再活性化機
能を人為的にテクニカルにコントロールしようっ
てことだから、社会的に云えば、自己検閲済人民
抑制法だと思う。そうなるとやっぱりこれからは

アポロンとディオニソス的に精神界の戦になる。
自分をひたすら自動反射ロボットにしようという
志向との戦いですね。前者はすごく健やか、後
者は敗北主義。しかしながら、ヒットラーは後者
に属している。後者にとって前者は使用人にする
のに最適だ。そして、どっちも嫌だ、という第三
勢力である分裂症群がいる。私はここにいる。こ
ういう輩は音楽産業とか牢獄に幽閉されるだ
ろう。軽度でガードマン、中度でミュージシャン、
重度だと病人、というわけ。

だから音楽で人を救うなんて絶対にできっこない。
救われないと思っている奴らの嘆き節なんだから。

かくいう私の音楽もまさにこれですね。立派に嘆
きたいと思ってますよ。どうせ落っこってくる
のだから。

嘆いて、救われないということすら忘れている、
救われない人たちに、その救われなさを一緒に歌
ってほしいと思ってる。ホントは。
一緒に死んでください       

                 坂本龍一




過去にもDisapointment Haterumaについて書いたが、最近知り合った盟友山田氏と昨日の酒の席でまたこの話になった。むしろまだまだ土取利行について知りたい自分が親交のある山田氏に問い詰めるような形。もちろん教授の名前も出てくる。今の自分の最大のエネルギーだ。

上は教授の78年発表したデビューアルバムであり、衝撃的なライナーを残している。
考えさせられる印象的なライナーは、学生を卒業、音楽を糧とし社会に飛び立つ若き教授を伺える内容とも言える、いったい何を思っていたのだろう。酷く冷静な葛藤と感じる一枚。当時26歳。

しかし、坂本龍一名義として初めて出したのはやはりDisapointment Haterumaだ。75年、夏。衝撃のフリージャズを叩くデビューアルバムである。大学在学中時の事。

75年から78年の間は教授にとって、数々のスタジオセッション、客演を広め、そしてYMO結成をした時の事だ。それから同年の78年にソロで上記の作品(千のナイフ)を残した。細野(晴臣)さんとのぱらいそや山下達郎のイッツアポッピンタイム、そして浅川マキとの76年の「灯ともし頃」もこの間に位置する。
クラシックを脱し、民族音楽、ジャズ、ロックに触れる、その他にも多くの客演を飾る中で、YMOを形成していったその流れは、本当に恐ろしいほど激流的な怒涛の挑戦だったに違いない。

がDisapointment Haterumaは、しっかりその最初の作品として位置づけられる、しかし公式になっていない。その事を考えると、土取利行主体に進められた作品なのかとも感じるし、より深いもの、「何か」なのか「若さ」なのか、同時にがむしゃらな中の葛藤の末とも想像してしまった。

僕の中で教授のキャリアはYMOが作ったと思う。もちろん同年にソロとして、残した事には、74年くらいから78年の最強に濃い出会い達があったからこそ教授が生んだものとしては間違いないし、80年代を超えても転換点は多くある。

Disapointment Haterumaは、バリケードを張り、学生運動に取り組んでいた信念を油に動く、坂本龍一の行動エネルギーと、土取利行のフリージャズとその時代への叫びのぶつかり合いなんだろう。その通り一瞬なのかもしれない。幻として。


1975年、高度経済成長の中、日本。ベトナム戦争が終結に向かい、学生運動も最後の熱を持ち、自分の未来と信念、国の為に闘いに疲弊を感じ始める。内ゲバへと向かい、暴力が大学で蔓延し、恐怖と粛清という名に若い命が堕ちていく。沖縄返還を向かえ、闘争の対象の一つであった反米感情はどこに向かうのかさ迷い、次々と潰されて、踊らされていく運動の中、音楽が残った。


沖縄返還前の日本最南端の島、波照間(はてるま)島と、赤道を軸に、ちょうど緯度において正反対の場所にあるオーストラリアのディスアポイントメイト・レイク。

マキの歌と坂本のpiが、寂しさを聴かせる。


そして、「ボク、今でもジャズには否定的です」と、再発のインタビューでこの作品に対して今になって語る教授はスコラでこう残している。


~フリージャズ。「演奏が終わると音楽はどこかへ消え去ってしまう。そして二度と捕まえることは出来ない」スコラ 坂本龍一 音楽の学校。~


 『誰もぼくの絵を描けないだろう』



昨日は、仕事終わりにそんな話の理解者であり、先生でもある山田氏を誘い、駅前へ。
寂しい街は、地方と時代にかわされて、風化し、味を出していく。 そんな中語り合っていた。
「顔と顔とで繋がる鼻緒と言ってな、出会いがあるだろ。酒場の席には服が落ちてる。」
改めてそうなんだなと思い、富山の夜を楽しんでいた。

山田君が、「真太郎さん、土取さんもね、踊るんですよ。かけあうんです。」

やっぱぐっと来た。
最近の自分の全ては、土取利行とミルフォードグレイブス、「ナチュラル」だ。


今日の一曲、

Donald Byrd & The Black Byrds / Loves So Far Away

また寒くなって、相変わらずのどよついた空と空気。夜は酷く冷えて、人の気も消されたかのような静けさは、毎日続く。たまらなく好きです。各々パートで引き立っていて、繊細な演奏ながらも疾走感溢れ、かすかなボーカルと、後半のドラムブレイクは、おかわりしても飽きず、現在からの開放を後押ししてくれるような。




勢いで、山田君にヒップホップを聞くのか聞いてみたりした。
「あー!昔結構聞いてましたよ。」「2000年くらいまで?」「いや、もうチョイ聞いてましたね!」
多様性に長けた、地方に馴染みやすいものなんではなかろうか、と山田君は捉える。各地方の色感なりコミュニティ間を感じて、没頭していたみたいだ。
すっかり、60-70年代のコアな邦楽やフリージャズやノイズ、実験音楽に長けたイメージを持っていたのだが、、そこからも話が色んなジャンル、方向へと掘り進む。

今まで見てきたライブの話や、バークリーの限界を「学ぶ事」「感じる事」の所にあるんだと思うなど、また彼自身ドラムとベースを嗜んでいるなど。

気が付くと僕は、この本を注文していて、
晴さんの「もうそろそろ閉めっちゃあね。いつもありがとうねぇごめんねぇ。」が響いた。






思っていたより、いつもよりお会計が安く感じたというか安かったのがまた面白くて。
今日の市場と晴さんの気まぐれに感謝。

「酒場には福が落ちてんだよなぁ。」
石倉三郎

2013年2月5日火曜日

Lady

一昨年訪れた熊本のとあるクラブである人の名前を聞く。
「どらびでお」を知った瞬間「何か」が壊れた。

ちょうど友人の結婚式で天草に訪れる際、まだじっくり歩いていない九州を少しだけ散歩した時の事。



旅に出てもその町の何か面白いものを探す時、音楽を頼りにする。
そこで知らなかった世界を知ったような感覚や糸が紡がれたように出来事や人が繋がることが良くある。


それから「鈴木昭夫」に今辿り着くには、それからだいぶ後の事だ。

彼の音を出す雰囲気は、神々しい。自然とつられて原点回帰、自分の行動のルーツをたどってしまう。

彼は、本当にシンプルな言葉で僕の踊りにヒントをくれた。
決して自分の行為を説明したり、踊る意味を言葉で説明したいわけではないし、何も考えないよう、自分を発散させる為、体を動かすだけでもなく、誰かに見られ何かを思われその感想を時々聞く事でもない。 全部続ける意味をたどる大きな意味の一つずつ。

音の「なげかけ」と場を「たどる」行為の繰り返し、自分のフィルターを通し(聴く)、「踊る」ということを模索し続けている。

そうなんだと思う。


http://www.akiosuzuki.com/web/profile01.html



とある中国の山間の村を結ぶ谷の道で、とある日本人が、自転車に乗った中国人の男とそこに立ち止まり、すれ違い、通りかかる人達を見た。

自転車を止め、積み荷から椅子を取り出す。村人達はおもむろに腰をかけ、男は腰に据えたハサミを空中に掲げ、動かす。
日本人は、風にそよぐ髪、谷へ吹かれる髪、その情景と手つきに魅了された。


日本人、本田三紀夫の記事を読んだのは高校生くらいだろうか。彼の独特な語りとインタビューを書いた記者のやわらかい記事にまだ若い自分も目をつぶらずともその光景が浮かんできた。

当時はカリスマ美容師なる言葉が生まれ、なりたい職業も人気というくらいに流行していた気がする。その中に一人の落ち着いた美容師のインタビューに僕は胸を掴まれた。

「テクノカット」の生みの親であり、代官山という土地に美容院を出した先駆けの存在、一世を風靡した彼のスタイリストの経歴の中には、多くの著名人がいる。

しかし彼は、ある時を境に何かに気付く。多くの店を持っていた最中に突然彼は全てを投げ出す、といった中盤で記事は局面を迎える。

結果的に、彼は経営していた美容院を譲った。きっかけは上に書いた中国の旅なんだろうか。
ひとつこじんまりとした店のみに彼は注力する。

髪を触って、頭を触って、話を聴いて、初めてイメージが沸く。
いつの間にか数分程度客と接して、少し髪を切って、後は全てアシスタントに任せる事になってしまっていた状況に疑問を持っていた多忙の日々の中彼はシンプルに目覚めた。

目黒にあるbijinには、座る席は一つしかない。昔は電話もない。場所もうっすらとしか教えない。

僕の理想の美容師は、「あの時、見た中国の光景だな。絵になるんだなぁ。」と嬉しそうに答えていた。

通りすがりに髪を切るその光景を待っているのか。この人に髪を切って欲しいという初めての感覚と僕の願いはまだ叶っていない。


http://bijin-mikiohonda.blogspot.jp/




今日の一曲、


このアルバムでふっと何かが抜けたような空間を演じている「Three Views of a Secret」は、
ふと思い出す、そんな名曲。この何年か後に思いがけない出来事で誰も願っていない永遠の眠りに着く事になるジャコパストリアス。ジャズフュージョンってなんなんだろう。ジャコの波乱に満ちた人生に、自身に何を思うんだろう。

温かくなってきた春の気配を感じさせてくれる。けど、また明日から寒くなるんだろう。そんな雰囲気も混じっている。タイトルと曲を重ねて。

 Jacoの人生を思う。あっけないと言っていい。儚い。




               


左手は良好だ。体も戻ってきた。しかしまだまだ思い切ったスタートを切れない微妙な助走に焦りつつ。

カラクタ共和国で音を武器に叫び続けた男の音楽に影響されて熱くなって。

「気付かないように変化していく。」

こんな言葉を彼は残していたみたい。最近ではWax Poeticsでの記事が新しいが、その記事でも引用されている親交のあったカルロスムーアの記事での一文を最後に。


「食べること、飲むこと、そして楽しむこと、なぜなら人は明日には死を迎えるかもしれないからだ」
カルロス・ムーア著「フェラ・フェラ」(フェラ・クティの伝記)より


2013年1月29日火曜日

Bijin


昨日は久しぶりに書店でBRUTUSを手に取った。特集は「カラダにイイコト」。
口に入る食べ物から、運動をすること、身の回りを取り巻くもの全て、もちろん音に然り様々なことが書いてあった。

ミルフォードグレイブスは下記でこんなことを言っている。




「体にはいい栄養をあたえてやらなければいけないとか、空気はきれいな方がいい、また美しいものを見たいというが耳に聞かせる音楽の質には無頓着だ。
大事なのは五感のバランスだ。耳にもいい音楽を与えたいものだ。口に入るものや見るものと同じくらい大切なことだ。」

「エネルギーは生命そのもの。」

この一言に生み出す何かは、肉体がなければならないことがわかる。肉体と精神はバランスだ。

ミルフォードグレイブスは、リズムを糧としている。リズムは肉体からなるものだ。精神は、そのバランスを支えるもの。
僕は彼と、そして土取利行さんにだいぶヤラれてしまった。今のすべてかも知れない。表現ではなく、体現してしまっていている。
ミルフォードグレイブス、土取利行と言ったらフリージャズのそのもののような存在。彼らがいま見に置いている先は、サンラ、ファラオサンダース、ジュセッピローガン等の奇人達にも、バンバータ、ラメルジー、リーペリー、フェラクティとも共通の「宇宙の起源」「生命の起源」を問うような活動をしていて、それは「Freshest Kids」でいうところのKRSwンの「人間本来のアフリカから授かった欲求の根点、地面に手を着いて踊ることとはそういうことなんだ。」とブレイクダンスにも捉えられ、身近に感じている。

映画「スクラッチ」では、QバートとMIXMASTERマイクが、自宅の庭で何か空から光が降りてきた、あれは俺のスクラッチが宇宙に届いたとか、火星の音はどうなっているんだろうと同じことなんだろう。

ジャズドラマーである父を持ち、自身もジャズベーシストして活動していたトーマスジェンキンソン。
彼は、その影響からJAZZに触れる環境である事ながらも早期に電子音楽の恩恵に触れ、スクエアプッシャーとして、世界の度肝を抜く事になる。
このイギリスの異端児は、下記の曲では自身のテクノをフリージャズに展開している。時代を超えてもその精神は影響を与え絶えない。強者揃いのWARPという誰もが知るレーベルが発した
Ultra Visitorは今聴いてもまだ鮮明。去年のエレグラは本当に見たかった。。




そんな感じで僕はこんな共通点を見つける度に自分の踊りが高まっていくような感覚になる。高揚感。それは音楽から見つかるものでやはり踊りとは「音の体現」なんだなと。

ミルフォードグレイブスは、ライブ中にセットを飛び出し、踊る。土取さんとのセッションを楽器だけではなく、自らの体をくねらし転がり踊る。これが今の自分の全て。70近い高齢ですよ?


上の動画の土取さんの話は本当に心を打たれた。リズムとは、体現とは。音楽は体なくして成り立たない、目だけで、座って学ぶ聞く教える現代の音楽授業には疑問を感じるというところに僕は大きく動かされたので興味が是非是非あったら見てほしい。

そして彼の輝かしい功績の一つでもある、ピーターブルック劇団のピーターブルック本人のインタビューもがっつり見入ってしまった。


何かこの三人は繋がります。必然的に繋がっていったんだろうと。ピータブルックの作品についてはのちのち語ろうと思う。

最近とあるジャズバーで、いや立ち飲み屋で仲良くなったレコード好き親父の紹介で訪れたジャズバーで出会った若い二人の友達。彼らは本当に話すと力がみなぎっている。
静かな口調も優しい目も、そこからは想像させない熱い気持ちが酒の口に含む度、巻きタバコを煙をくゆらす度に夜更け夜更けと時間が深まる度に伝わってくる。こんなの待ってました。

音の根底にあるものを原点回帰とそれに影響させたものさせるもの、そして自分の歴史と照らして「自分を作っていく」という当たり前の作業を追及していく事とはこういうことなんだろうと。

 フリージャズというと僕はかなり難しい人達を想像していたんだけれども何か見つけた!って思いました。そしてミルフォードも土取さんもリズムに携わる人であったことに一人運命を感じているのです。

70年代の日本の、阿部薫然り、近藤等則、坂本龍一も今は個々に違う道へと旅立っていった訳で。個性とは。



日本のフリージャズ盤で高額レア盤として有名な「Disapointment Hateruma」これ聴いたことなかったんだけどこの前聴かせてもらいました。最近ではDJも所有している人がちらほらいるらしいのですが、どうやってサンプリングするのか非常に気になる。プレイで使っていたならフロアがどんなカオスなのか気になる。
アメリカから沖縄返還前の年のリリース。前年です。とても色々な思いが詰まっている事を感じ取れる。土取さんのリズムが最強。
教授はこの後、「今でもジャズには否定的で、」と語っている。興味深い。

自分の中で解釈しがたい、今でも半端なく難しいフリージャズ、そこに光をもたらせてくれた出来事であり、出会いでした。


最近のリズム不調な生活で踊りも私生活もままならない不摂生な状態は自己嫌悪そのもの。
仕事の関係で食べる時間、寝る時間、体を動かす時間がないのでせめてもの口に入れるものだけは、絶対に考え、少しでも手間をと考えている。



その中で不摂生にも音の栄養、感覚の栄養を摂取しに夜な夜な酒の席で学ぶことも大切。バランスを取るのは難しいけど、絶対に忘れてはいけないし諦めたらいけないことと自分に言い聞かしてます。

現実を見ずに夢を見るな。産地やら放射能やら騒ぐ人が多い中、食品添加物には目を向けないのか、と。
報道にデモ、流行のように無添加を謡い、放射能の危険を煽るな。現実は本当に知ることが不可能な程、根深いのだ、と。


バランスは難しいです。

音と体、そんなこの頃。



最後はそんな彼らから知ったギリヤーク尼崎を。おひねりだけで人生を生き、舞踏に命を賭け、決して真似られることない生き様を僕たちは見て、どう感じどう生きていくのだろう。
御歳87を超え、ヘルニアで潰れた背骨の痛みにもペースメーカーにも負ケズ。



一昨年、身内で盛り上がった阿波踊りもだが、じょんがらもまたアフロビートだと一緒に見ていたシンジ君も息を飲んで見ていたのが印象的でした。

今年、富山に来るかもです。



ハナミズキノヘヤというお店が教室というか、彼ら二人が、学校のクラスメイトのようで同じ学び舎で永遠に続く休み時間の中にいるような感覚を感じる。「放課後は大事。」




 今日の一曲(二曲。笑)は、QuanticのManbo Los Quantic。わくわくするねー。

そしてもうひとつは去年のクリスマスに、とあるサンタのクソ親父がくれた一枚。
ここ一ヶ月くらいはひたすらリピートな一枚のラストを飾るこの音楽は、イタリアの作曲家で巨匠・エンニオ・モリコーネの作品。どんどん迫っていくドラマティックな展開と優しいボッサ調のリズムが高揚感を保てせてくれて心地よい4分30秒をくれる。

映画「ある夕食のテーブル」のこの曲、日本では未公開だそうで。

今晩はあなた何を食べますか?


今日は天気良し。気持ち良し。

火曜日、シャっきっといきますか。

 


そう〆ようとした時にまた新しい刺激が舞ってくる。  

「限りなく物音に近い音楽そう呼んでもいいだろうか?」
(谷川俊太郎 詩人 鈴木昭夫のライナーノーツより)

2013年1月21日月曜日

Something

アメリカ音楽史の歴史を追うと、決定的な意味付けとして歴史的背景による人種と音楽の関係に全て表される。つまりは、アメリカ史そのものであり歴史の存在なくして音楽史は産み出される事はない。

ブラックミュージック。

陸続きのユーラシア各国のどこにでもここまで成し得なかったほど特変的なミクスチャー文化は音楽に限らず「アメリカ」という国の代表的な表現だ。

アジア、ヨーロッパは、個々に特徴的なアイデンティティが音楽や文化に存在し、根強く受け継がれているのに対し、様々な形として完成していった。

アメリカの文化は~というような誤解を招く記事を先述の記事で書いたが、現代音楽のスタートとして、アメリカ音楽はこれまでのヨーロッパ音楽とアフリカ音楽という二つの全く異なった源泉からミックスさせた。このアメリカの歴史的背景には、300年強のアメリカ史の中で特に黒人のアメリカでの環境は、音楽に凝縮されていて非常に重要だと思う。しかしやはり一つ付け加えると源泉があるということ。

人種のるつぼであり文化のるつぼでもあるアメリカは、世界中の音楽文化要素を取り入れ、「融合と移植」という手法で新しい音楽を作っていった。

ダンスというものに携わり、ルーツを探求する中で僅かながらもラテンに深める姿勢を取っている僕が言うのだけども、サルサはやはりニューヨークで生まれたカルチャーである。


これはIn Zaire, Africa 1974 のファニアオールスターズ。ちょうどザイール74の映像があったので。
ドンキングにより興行された正にアメリカ音楽のアフリカ回帰を代表する歴史だと思う。
まだソウルパワー、モハメドアリのザイール戦のドキュメントを見ていない人は、興味があれば見てみて欲しい。
キンシャサの奇跡と言われたこのライブ、僕の中のJBが一番かっこいいと思う場面です。そしてミリアムマケバの魂。そして自身もブラックムスリムの一員として、アフリカンアンデンティティの掲げアメリカの白人社会と公民権運動を闘っていったモハメドアリの最強のエンターテイメントトラッシュトークとも言うべきフリースタイルな一言一言は言葉を奪われるはず。

こうしたドキュメントは、歴史的音楽背景に興味を持つ絶好の材料だと思うし、少なからずドキュメント、映画として、美化している部分もあるがお勧めできる作品達。ファニア押しでいうとエクトルラボーのエルカンタンテも僕の好きな作品の一つ。

 

主演のジェニファーロペスが、自身の制作会社、「Nuyorican Productions」から出したこの映画は、ファニア全盛を飾ったラボーの生涯をピックアップしている。演じるマークアンソニーはサルサシンガーでジェニロペの夫であり、ジェニロペ自身も作品ではラボーの妻を演じ、女優として、制作者として、そしてニューヨリカンとして、この映画でラボーを通じて音楽とアイデンティティーを伝えようとしているのがわかる映画だと僕は感じている。そしてジェニロペの作品中の腰の振りがまた血を感じ、セクシーであり、ダンサーとしても圧巻のシーンにやられてしまうのです。(現在は離婚しましたね。バツいくつやねん。いや人事ではないな。)
にしても数あるアメリカ音楽の中でもニューヨークで生まれたサルサという音楽は中でも特徴を残している気がする。
そして、アメリカ音楽の諸要素のそれぞれ元をたどれば特定の起源に辿り着くという事が実に分かりやすい音楽であるんじゃないかな。

アメリカ音楽の発展から現在まで音楽は常に 融合と移植を繰り返し、形成されてきて、これからもそれは引き続き作り手たちに続けられる。
これは僕の踊りの世界にも言えることでそこには多くの問題を抱えていると思う。
情報のない時代、そこには独自の発展と熱があるが、それは正確性に欠け、06年のYoutubeの登場と共にダンスの価値統一化がマジョリティで行われて世界を占めていく。ネットの普及と共にそれはスピードを増し、しかし裏ではしっかりもう一つの道を模索している人達もいる。それは決してマイノリティというくだらない村八分的な括りではなく、純粋な追及に精魂共に何かを得ようと、または快楽の追求を求めている人達を指している。

 この映像は、00年、Detoursのエンディングの僕的にある意味きっかけとなったターニングポイント。Original Stand AloneのElswhereとそのメンバー、またその親交深いアメリカのアンダーグラウンドのダンサー達によってリリースされた当時VHS。
何気なくアメリカから持ち帰ったこのビデオは、日本でも一部の人の心を掴んでいた事は間違いなくて最近同年代の削りながら踊っていたBBOYの友達の間で再燃(昔話のネタ化)している。

何故かバスケのゴールの上に座りながらBBOYルーツを語るレッグスの内容は、HIPHOPがアメリカのミックスカルチャーの象徴であることを表している。
動物の動き、ヨガ、少林寺、カンフー、ジャズ、サミーデイビスJrのタップ、ミンストレルショーの様な黒さも漂う映像やエンディングの映像を全て個々に映像として持っているマニアックなコアな知り合いも居るが、
そんな人たちとのダンス観はやはり当時は話が盛り上がった。

またここでピックアップされている4人、MIDAS、RAWBZILLA、ELSEWHERE、KUJOは頭から一発で見るとお腹一杯。Othersのメンバーも良いFootageてんこ盛り。(このVHSも誰か返してくれ)
そしてMIDASは、個々最近恰好の酒のネタで、60inchでAppleTVでこれで飲む去年の忘年会でもありました。笑(P氏)

 融合と移植、その中で確実に独特で独立したセンスを出しているこの四人はリスペクトです。




アメリカを代表するニューヨークという存在から生まれたサルサに注目を置いたが、やはりスピリチュアルや黒人霊歌を通り、南部で生まれたブルース、そしてロックとジャズが世界に与えた影響は偉大過ぎる。 南部での誕生と、ニューヨークでの誕生からもアメリカの歴史を伺う事が出来る。

チェスを題材にしたこのキャデラックレコードは、ブルースの誕生とロックの誕生、白人のポップによる搾取とアメリカでの衰退、ストーンズやビートルズ、フリードウッドマックなどを金髪のなよなよ兄ちゃんみたいに例え、ブルースを愛した白人達によるブルーアイドソウルやロカビリーの軌跡も見せラストにはヒップホップのサンプリングとしても使われていることにも触れ、Q-Tipの登場もあり、見応え充分。そしてアメリカでの衰退からイギリスで再燃したチェスの音楽達は、そこで進化を遂げていく流れもまた微笑ましい。同時期に公開されたパイレーツロックもあり、イギリスでのロックの必要性も感じ取ることができるのが僕には嬉しかったです。そしてエタ扮するビヨンセがたまらなく可愛い。
モータウンとダイアナロスとシュプリームスを描いたDream Girlsよりこっちがダントツで好きだな。


死ぬほど痛快で面白いです。坂本龍一教授のスコラで、ピーターバラカンも少し触れていたけど、
当時のイギリスは、本当に海賊ラヂオ船があったというのだから紳士の国イギリスの音楽のメッセージは、凄い。ブルースを糧としたロックはイギリスに渡り、日本も当然ながらアメリカ、世界に向けて届いたのだから。


人が踊りを創めたのは、雨を降らすため魂を沈めるための「祈り」であり、もっと遡ると人間に肉体が与えられたことによって音を感じる事を与えられ、脳という機能で音を解釈し、自分の心を映し出す。そして踊ることを与えられる。

古代ギリシャで生まれたリズムという概念。

自然が作り出す音からインスピレーションを受けた事から人が誕生した楽器。

クラシックの形成による音を楽しむ形となった、交響。

様々な国で続けられている民族音楽。
そこにはその土地の文化が反映され、また公共音楽として社会的な一面とそれぞれのアイデンティティも存在して成り立っている。

僕もそんな音楽や踊りの歴史の中、葛藤の中、今の着地点は「日本人」ということに落ち着いてる。
そして、その中で当時の知らなかったことも学びながらさらに新しいことを学んで、自分の中で新しいダンスを生むきっかけとする中で、当時は知識の限界なんだなと振り返ったり。
今は何かをまた先端に戻しつつ。


上のFelaの動画は、ジンジャーベイカーがアフリカを縦断した際、ナイジェリアでフェラに出会った時の映像。インアフリカというタイトルでDVDにもなっていてTSUTAYAでも発見出来ます。
ジンジャーベイカー自身、アフリカサウンドとのきっかけは、「アフリカ音楽集」などのクレジットのない資料的レコードから60年代初頭に入ったらしいのだが、ドラムという立場からアフリカのリズムに惹かれて行き、吸いこまれていったのは必然だったんだろうなと。

フェラ自身もロンドンで留学中にトランペットジャズを学び、この時にジンジャーも彼と出会い、
インアフリカでナイジェリアにて再会した際に「恋に落ちた」とインタビューで言っていた。

このDVDも更に本当に見応えあって、ジンジャーベイカーの音楽に対する追求と好奇心、今でもそれが劣らない正に「殺気」を感じる。そして、その中でもこのフェラのシーンが、印象的で。
彼らの音に対するアプローチと踊りが、「本物」です。

先日のセッション前に日本酒を飲みながら相方であり先輩の002VRT氏と見ていたのだけれども、
「踊りってアフリカだね。」で話がまとまってしまった。

その後のセッションは、二人で40分と長丁場だったけど、乗り切れた感は、これを見ていて良かったなと思うところがある。

その模様。






ライブペイントのNOAさんは、以前GravytyFreeの時に拝見。Decoも雰囲気良く、声をかけてくれたOnpun/Berry StoneのZaion君に感謝です。DrumのOka君もタイトなグルーブで心地よくまた真っ直ぐに踊れました。






今日もそこそこいい天気。
春の気配が少しずつ。

富山に来てもうすぐ五年。
この五年間一度もアメリカに行かなかった事を最近良く考える。

最後は光を浴びてる感じを受けるAUSのビートメイカー、Dorian Conseptと一昨年ライブで拝見した畠山美由紀さんを今日の一曲に。

2013年1月19日土曜日

Here Come The Sun

日本とイギリスが育んだ音楽の共通点。

音楽だけでなく、文学も映画にも言えることかもしれないが、日照時間の関係や太陽を感じることのできない「冬」という存在から生まれた繊細な部分、暗い部分が感じることができる共通点がある。

それは年々に年を重ねていく(生きていく)ことにおいての積み重ねた人格というべきなのか、意思というべきなのか。音楽の作り手たちにはとてもそういったものからの影響を感じる楽曲や特徴は見離せないし、聞き手としても何かの場面に音楽を重ねる、またはあの時聴いたときの曲を今現在の場面に重ねる場合にとても大切にする照らし合わせだと思う。



ビートルズを年々重ねて聴くと、ジョージの存在が本当に素晴らしいと僕は思う。ポール、ジョンという天才に挟まれながらも自らの存在について考え、メディアに惑わされ、苦悩し天才の目を開いたというところにあると思う。
上の「Here Come The Sun」は、アップルでのミーティング、長い冬に億劫さを溜めたジョージが気分転換にクラプトンの家に遊びに出掛けた際に、その年初めてのハルらしい天気を歌ったもの。
 自然生まれたメロディラインと太陽の喜びを覚えるジョージの繊細が伺える。

イギリスの暗さは、とても嫌いだった。でもここ最近気づいたのはその中の葛藤や爆発から生まれた色々な音楽が存在する。ピストルズのようなパンクも多くのニューウェーブも、ダブも進化させ、生み出したそんな葛藤の爆発的な音楽芸術が多くある。


それと同時期に日本ではMUTE BEATが生演奏にダブを取り入れた。遠くジャマイカから飛び立ったレゲエの胞子が、1980年代のイギリスや日本でダブを育んだり。

ジョージに話を戻すと、ビートルズの後期は類まれなる才能をさらに引き出すため、惹かれるかの如く、ジョージがインドにシタールを学びに行くように世界の様々な民族音楽や楽器に傾倒していく。

それは妥協を求めない音楽追求者としては、当たり前の行動かもしれないが、斬新であり既存の自分を壊す勇気あるリビルド。

ラメルジーの言った「偶像と破壊主義」まさにそのものだ。

僕は「ダンス」というものに10代半ばで興味を持ち、「HIPHOP」という音楽に没頭していた。右も左も分からないが、メディアでしばしば取り扱われていたHIPHOPやブレイクダンスは僕の頭の中で少しずつ胞子が増殖していた。初めて手にしたわけも分からず買ったCD、レコードやビデオを通して少しずつ音楽やファッションに歩み寄る中、いつの間にか文化そのものにドップリ漬かっていた。

元から歴史好きが相成って、しばらく年を重ねた時に、「自分のやっているダンス一体どこからきたのか?」という自分のルーツ探しが始まる。


上で述べたラメルジーは、HIPHOP創世記のレジェンド、「ゴシックフューチャリズム」を提唱し、
既存のグラフィティー概念を逸脱した最重要人物。文字のスタイルを数学的に表現し、HIPHOPお持つ本質を総合的哲学を持ち、自ら具体化している事から僕のHIPHOPに関するイメージがぶっ壊された瞬間だった。当時17歳。

服が、お洒落なサブカルチャーを求めて当時年間購読していた「Relax」が起点で、都築響一さんの「アートランダム」に夢中になり、違う側面で見たHIPHOPに大きく影響されたのを覚えている。

でも僕は若かったので具体的には彼の提唱していたものがあまりにも難解すぎて、「ダンス」というものの魅力には至らず、日の目を見るのはまた何年か後になる。

「BBOYING」というHIPHOPの4台要素といわれるジャンルには相当のコンプレックスがあった。
巷でHIPHOPと呼ばれているものとは、音楽でもファッションでも考え、全てにギャップがありすぎるのが日本の現状であるし、OOOスクールと位置づけられた住み分けがまた僕には違和感に感じたし、反面分かりやすかった。

がむしゃらに踊りたい欲求に身を任せながら「なんで自分はこんなに夢中に踊っているのだろう」という位置づけに結果僕はBOYINGを突き詰めるわけで、その歴史、人物、様々な場所や人、体験で経験していく。

結論的に言うと、憧れまくっていた、僕の世界の 中心であった「アメリカ」は、日本とは違っていた。

HIPHOPはアメリカが生んだアメリカらしい唯一のカルチャーだと思う。

そのルーツには、もちろんブルース、ジャズ、そしてラテンの影響は切っても離せないが、もはやこれらはアメリカの文化ではない。アフリカンであり、スパニッシュであり、南米とラテンの文化であ。
ニューヨリカンというアイデンティティも存在するが、やはり僕の中では違う。


90年代後半から00年初期にHIPHOP、BBOYINGの世界では、「原点回帰」という言葉がターニングポイントだった。僕はそこにドはまりした。
世界に広まったHIPHOPは一人歩きしていた、けど何人かの人達がここにほんでも気づいていた。
発祥のニューヨークシティーで事実を学ばなきゃいけない、知ることが必要と気づいたのは西と東に分かれたアメリカもそうだった。
各々の場所で「進化 」を進めていたことが、ゼロからのスタートになる。とても困惑した時代だった。

僕はある程度を機に「日本人として」というアイデンティティに重きを置き、HIPHOPのルーツでもある、ラテンに傾倒していく。
上の映像は「MAMBO TO HIPHOP」これHIPHOPの歴史を学ぶ上では歴史的映像だと思う。
(誰かDVD返してくれ!)

ここではロックステディーのFABELが自身がニューヨリカンという事もあり、HIPHO`研究家として、
アメリカ史に大いなる貢献していると僕は感じる。「アメリカに歴史はないから」

ここまでいうとちょっと偏りすぎですね。誤解を招きそうだけど。ブルーアイドソウルやブルースロックとして白人たちが、70年代に活動していた何年間はとても素晴らしいことを最近は南ロックを学ぶにつれて感じてます。
でも本当ここの好きな人から学んでいる状態で。

踊りに話に戻すと、やはりアメリカに勝てない日本がいた。HIPHOPが文化のアメリカ、このコンプレックスと闘いながらもう一度の原点回帰はやはり自分が「日本人」であることだった。





2006年にNASが「HIPHOP IS DEAD」のリリース、アメリカのHIPHOPは完全に死んだと。
でも世界で胞子をまいたHIPHOPは各々進化をし、成長を遂げてる。

ちょっと時間がなかったな。

最後はJAGTARAがでもデモDEMOで歌った一言で。

「日本人て暗いね」

これが全て。