2015年1月3日土曜日

怒りのキューバ


64年、キューバ危機直後にソ連と共作で撮影された「怒りのキューバ」。

スコセッシとコッポラもその後にこの映画に衝撃を受けて、二人の尽力もあり異例にアメリカでも公開された。

そして日本でも。69年に。

ここに映っているキューバは当時の華やかさ、栄華、情熱に満ち溢れたノスタルジー。




僕の見たキューバは、先日やっと解除された50年閉ざされた経済制裁の解除前の二年前。

空の色は変わらず、街の色は、あの時とは違い、土っぽくくすんでいる。












 



人それぞれの視点
この街の風景

怒りのキューバは、原題「私はキューバ」を映画化されたものでそこに映る華やかさとは僕が見たものは違う。




キューバにも格差があり、
スパニッシュ系の人達は黒人達は調子が良いから近寄っちゃだめだよ、なんて声が聞かせてくれる。

人種差別のないこの国にも昔から少しずつ溜めてるものがあるらしい。

ダミアンの住む地域では、そんなに見られなかったが上のグラフティが描かれていた新市街の外れは黒人達しかいないハバナのゲトーのようだった。


サンテリアに興味ある僕にダミアンは
サンテリアやアフロキューバンの土着宗教の神様や意味などを教えてくれた。

キューバでの宗教歴史は、滅びてしまったキューバ土着文化ではなく、
奴隷としてこの土地に生きる事を定められた黒人達の祖国の大地アフリカンだった。

ジャマイカにはとても思いを寄せていて、ただのカリブ海に位置する国というだけでなく宗教や文化含めて感じる思いがあるらしい。


部屋の隅に四方に置かれた人形の模した神達。



0 件のコメント:

コメントを投稿